■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[13j釋草]■■■
釋草で「爾雅」v.s.「說文解字」を採り上げたので、もう一歩踏み込んで、説明しておきたい。(これを書きたいがために"Lotus"を採り上げたのだが、儒教的には表立って書いてはいけないのかも知れず、続けての記載を見送っただけ。)

くどい位、繰り返し述べているが、「爾雅」は詩作アンチョコとして同義文字を提示した字書。言い方を換えれば、通俗的に文字を使う為のハウツーの実用一本槍本。
(現代だと、アンチョコなる用語は下卑た印象を与えかねないが、科挙の時代は暗記即命であり、「爾雅」の記述を頭に叩き込むことは、選良だけが行うことができる高尚な頭脳作業を意味していた筈。人口比ではほんの僅かしかいない支配者層の人々のコミュニティでは、詩作能力を示せないと放逐されかねないから、アンチョコとは書籍の最上級ジャンルの筆頭に位置づけられていたと見るべき。)
「說文解字」の様に、根底に哲学があって、文字宇宙秩序を提示しようという使命感は無い。

ただ、だからこそ両者の対比が漢字表記を考える上で貴重な見方を与えてくれることになる。

それは、両書とも執筆時点でほとんど死語となっている文字を採り上げる必要性を感じているから。
ところが、執筆の目的が異なるので、よく似ていても、内容と表記スタイルに微妙な違いが生まれてしまう。それが如実に出ているのが"Lotus"という訳。
(「爾雅」は現代の辞書と異なり、現行文字解説には冷淡にならざるを得ない。ただ、ジャーゴンは入れたがる。このため内容が偏ってしまう。しかも、分類観を示すことに力を入れることなどあり得ない。このことは、現代人からすれば、字書としては、価値は低いことになる。)
要するに、どうして当該文字が使われなくなったのか、はたまた、造字が必要となった理由は何かを考える上で、両書が糸口を提供してくれる訳で、漢字出生由来を覗き見ることができる可能性があると言う事。

そうだとして、何故、"Lotus"が好題材なのかと言えば、誰でもが知る文字<的>が収録されているから。・・・
 【荷 "Lotus"】・・・其の中=的 的の中=薏
<的>の用例は、この他に1ヶ所のみ。・・・
  的=薂…lotus seed と解釈するしかない。

日常的に多用されている文字だが(「詩經」注釈文だと、"〜的様子"という具合。)、特殊な字義しか記載していない訳で、これでは、とても、辞書的に用いることなどできまい。
一方、「說文解字」だが、やはり姿勢がよくわかる。<的>は項目文字にあげられていないからだ。叙にも用いていないから、俗字なので、検討対象外といわんばかり。本来は別字だったと見抜いたことになろう。
  ≪日≫:明
言うまでもないが、儒教的文字宇宙秩序から外れた文字ということで、全く無視している訳ではない。周到に、字義解釈で<的>centre of target@archeryを使用している。・・・
  ≪木≫:射凖的
  發彼有的 以祈爾爵[「詩經」賓之初筵]

現代の辞書であれば、例えば、以下の様に主要用法網羅の印象を与える必要があるが、両書とも字書ではあるものの、それとは全く異なっている訳だ。
名詞
  鮮明clear
  鮮明的樣子bright
  標的@弓矢centre of target@archery
形容詞
  確實的sure
動詞
  -
副詞
  真really
後置助詞
  副詞後置:明瞭化
  名詞後置:所有格化of
  名詞後置:修飾語化(形容詞化)/副詞化
  文/句末:語氣詞  (Aspect)
  

     

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