■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[15ga釋蟲]■■■ 従って、参考になるかと思って、現代版昆虫分類を描いてみたが、どれだけ役にたつのかはなはだ疑問。 ただ、分類の意味を考える上では、大いなる意味があろう。 生物分類はCarl von Linnéから始まったようなものだろうが、素人からすれば、外見上の形態的差異で階層的に整理し命名法(属名+種名)を規定したに過ぎない。(動物の和名は統制用語では無いようだ。)グローバルに通用するので、極めて実用的だから、当座標準名を決めようと提起した以上ではなさそうな気がしてくる。 ところが、<草木蟲魚鳥獣畜>分類以上ではない「爾雅」を眺めれば、それが実は画期的なことがよくわかる。(アリストテレスは有血-無血観点での大分類で展開しており、先ずは理念確立から。ここには現代にも通用する論理性が見て取れる。従って、こちらは正真正銘画期的。) 歴史を眺めれば一目瞭然。中華帝国では、「爾雅」以後、Linné登場迄、長い間、新しい取り組みは何もなされなかったからだ。 その理由は自明。・・・儒教的実用主義とも言える、訳のわからぬ上中下三品分類から始める原則を打ち出し、それに従う「本草学」以外の登場を許さなかっただけのこと。論理性や、洞察力を封じ、尚古を金科玉条とするから、ただただ詳細性に励むしかなくなるのは当然の結果。(無意味化した三品分類廃止は明代「本草綱目」から。しかし、それ以外の分類はママ踏襲し、細目化し膨大な数を追加。論理性欠如の古代分類観の絶対性護持は続行。しかも、服器なる部を平然と加えるのだから、議論の余地なし。) 新しい取り組みは、せいぜいが、実証主義の部分的導入。書籍の印刷が可能になり、膨大な西欧情報が流入しても、何の変化も発生しなかった。 そんな状況だから、「說文解字」の体系化の"知"が輝く訳で。(但し、六書分類は論理性欠落。もっとも、実際にはたいした役割を与えていない。)陰陽五行観念に基づいた文字宇宙の儒教的秩序提起ということでしかないが、その根底に"系譜/系統"観を抱えており、極めて斬新な思想家でもあったと言えよう。しかし、それは「本草学」的な、網羅的詳細性追求の流れを作り出してしまった訳だが。 ・・・儒教社会では、そうならざえるを得ないということでもあろう。 尚、誤解を防ぐために付け加えておくと、二名法自体はLinné以前から存在している。 階層構造にしても、たいした意味は無い。一旦、規定してしまえば、煩雑化は避けられないからだ。極言すれば、恣意的概念容認の仕組みと見られても致し方なかろう。(Domain-Kingdom-Phylum-Class-Order-Family-Genus-Species+[Clade Legion Phalanx Cohort Division Section Branch Series Group])系統を示す分岐分類が生まれたのは、ダーウィンの進化論の適応から。こちらは言うまでも無くコペルニクス的転回。 しかし、分岐分類を追求すると、本質に迫れるとの考え方は疑問である。精細化しても、ヒト(生物種)が感じている種の違いは何かに迫れる訳ではないからだ。分類に何の意味があるかという本質的議論から遠ざかり、詳細網羅的に情報を集めることになってしまえばそれは「本草学」への回帰に近い。 そもそも、種の定義が簡単にはいかないから致し方無し、と言ってしまえば、実も蓋も無い訳だが。 【附】分類観について、繰り返しておこう。・・・ 例えば、動物6種分類を、肉食 草食 山岳棲 林野棲 昼光活動 夜間活動とするとの発想は、現代人からすればおよそ馬鹿げているが、「爾雅」〜「說文解字」の時代、違和感どころか、それが当たり前だったように見える。 陰陽的2項分類から階層構造に進まず、並列という整理は奇妙奇天烈と言わざるを得ないが、分類で"真理"を知りたい訳ではないのなら、それで結構との姿勢も悪くないということか。 分岐分類を進めても、性情的に整然とした樹上分類になる必然性は無いのだから一理ある。要するに、変化は行き当たりばったり的に発生しており、マクロの流れは混沌以外のなにものでも無いとしたことになる。 全体像を見るために整理するだけなのに、論理的構成が不可欠となると、階層構造の論拠が不可欠で、それは大いに面倒。それは避けようとする気分はわかる。 ただ、いくら暗記に便利でも、論理性を欠く整理は、議論で中味を深めることはできず、情報を追加していくだけ。もちろん、それで十分と考えることもできよう。嫌うのはインテリ位だし。 ・・・論理で議論する様になれば、コペルニクス的転回が発生しかねず、社会は土台から揺さぶられることになってしまうからだ。 儒教を基盤とする中華帝国でその手の考え方は危険思想ということになろう。(儒教は人間学的洞察から、社会安寧こそがヒトの目指すべき地平としている。その実現は天子独裁-官僚統治の政体以外にあり得ず、その信仰基盤は宗族第一主義であることは自明と。) ⏩続 (C) 2025 RandDManagement.com →HOME |