■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[18ja釋獸]■■■ 「古事記」では、猨田毘古大~と猨女が登場してくる。 現代人からすれば、いかにも唐突な登場に映る。 何故にサルが道案内しなければならないのか、理解に苦しむことになる。日吉の猿信仰はいかにも後世勃興の印象が強いこともあり。 しかし、このストーリーは、倭人にとっては納得のいく展開だったに違いない。さすれば、日本列島では、ヒトとサルの間には紐帯感が存在したと考えるのが一番。 森を生活の糧とする国では、両者は近しい関係の筈だし。その気になれば、Win-win的な生活も送れただろう。(両者は文化的にも模倣的交流関係を構築していたに違いない。だからこそ雪国に猿が進出したと言えないでもない。) それこそ、ヒト類的分類の概念も存在していておかしくない。・・・サルは4手かつ直立腰掛の樹林棲息者だが、ヒトはそのうち2手を足化している脱樹林棲息者に映るからだ。但し、無毛であるから違いは目立つが。 ここらは、森を消滅させることで繁栄を図る、遊牧・農耕中心の大陸社会ではおよそ考えられない発想。早々と、猿は(食材化され)駆逐されたのは間違いなかろう。 絶滅か僅少残存の憂き目で、現代、まともに存続しているのはチベットモンキー[猶]位では。この種は、日本猿と類縁ではあるものの、当該地域のヒトにとっては、森の重要性が薄いから、紐帯感覚は生まれようが無かろう。サル側から見れば、日本列島だけが例外ということになる。 しかし、熱帯樹林地帯は、ヒトがそうそう入り込める地域ではない。従って、そこでは4手+尾で移動するタイプのサル社会が存在し続けたと考えてよさそう。こちらの種類は、日本列島には棲息しなかったようである。その名称は猿ではなく、猨。 言うまでもないが、棲息域周辺での地位は高く、山~にされることが多い。 ここに注目すれば、日本国のサル信仰は天竺辺りから渡来していると言えなくもないが、日本猿が大陸に棲息していたのだから、種の違いに気付いていない筈もなく、その可能性は低そう。 (ここらは、注意が必要。日本猿や同系統の西藏猿は尾が移動に使えないほど短いが、樹状で木登り的移動をする長尾の類。ややもすると、木から落ちかねない。熱帯樹林地帯棲息タイプの様に、樹間を楽々と渡って移動する、歩行する気が無い手長の類ではない。) そんな見方をすると、和語が即座に解釈可能。・・・ さる[猿]…戯る(仲間として) えてこう[猨猴]/ヤエン[野猿]…忌語[去る]回避 ましら[厩猿]…猿~祭祀(馬飼育には猿飼育が伴ったのだろう。) これらは、大陸に合わせた、日本国公式漢字表記。しかし、「古事記」は猿ではなく、猨。 理由は自明。 大陸では、繁栄桎梏の象徴動物たる猿は、揶揄の対象とせざるを得ない。しかし、サルは社会的動物なので、猨を道徳律教育に活用することになり、部分的ではあるものの褒めることになるからだ。 尚、ヒヒやマンドリルが東アジアに渡来して来た可能性は薄いものの、類似の生態の猿が存在していたと見れないこともないが、話半分がよかろう。但し、一理あるのは確か。大型サルらしき特徴(反踵とか、体躯黒色。さらに、長唇で笑う。)を示す"○○人"の類が「山海經」に記載されている以上。 【付記】「山海經」は、神話部分が削除されている箇所が多いとの前提で眺めるのがよい。そうなるのを承知で編纂されているということでもある。それに気付いたらこそ、当代ピカ一作文学者でもあった段成式(「酉陽雑俎」著者)は、全ての情報について出典を明記して執筆した訳で。 彼のサロン主義を理解できれば、トンデモ話はよくわかる。儒教官僚の思惑を忖度し、道徳論に合致するように語ることが少なくないのは当たり前。ご褒美ありだから。 しかし、インテリなら、それは少数派だろう。反儒教だが親儒教の顔をして情報を伝えるのだから、珍奇で、あり得ない馬鹿話にすることになる。真面目に伝える必然性など更々ないのだから。サロンではそれを知る人々が集い大笑いの態。国家統治に儒教は必須だが、個人の精神領域まで統制されたのではたまったものではないという人々の集まりだから、当然のこと。 尚、日本国の「風土記」は「山海經」を目指した書物と言ってよいだろう。 ⏩続 (C) 2025 RandDManagement.com →HOME |