■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[19caax釋畜]■■■ 孔子曰:"狗 叩也 叩气吠以守" 現代人にとっては、魯迅の「落水狗」を想起させる説明なのが面白い。これを≪許す姿勢は言語道断≫とのリアリズムとして称えたのは革命家毛沢東だったからだが。 言うまでもないが、階級闘争上の敵を指す言葉だから、走狗であって、可愛い仔犬である訳がない。 現代中国語でも、犬は公的一般名称なのは間違いないものの、用法的には、ほとんど犬=狗。 「爾雅」釋畜でも、6畜分類の用語となっている以上、犬=狗と見る以外になさそう。 <蘻 狗毒>@釋草📖 <鴗 天狗>@釋鳥📖 <熊 虎醜 其子狗><豺 狗足><𪊨 大𪊨 旄毛狗足>@釋獸 <未成毫 狗・・・尨 狗也━━狗屬><狗四尺爲獒>@釋畜 しかし、同時に、犬⊃狗(毛が生え揃わぬ幼犬)の記述もあるから、厄介そのもの。もともと曖昧な言葉であるとも言えそう。 <犬生三 猣 二 師 一 玂 未成毫 狗・・・━━狗屬>@釋畜 ・・・どうにも手のほどこしようが無いので、都度、適当に書き流すことになる。ただ、そのままにしておくのも気分悪しなので、ここでまとめておきたい。 狗は儒教の経典上で明らかに一般用語、従って、犬=狗は、後漢の時代には確立していたと見ることになっていそう。有名な話があるからだが。・・・ 效季良不得 陷爲天下輕薄子 所謂畫虎不成反類狗者也 [「後漢書」卷二十四 馬援列傳第十四] しかし、よく考えると、これは恣意的に犬と読むことにしているのではないかとも思えてくる。いくら下手とはいえ、黄色と黒色の目立つ縞模様の虎を描いてあるのに犬の如くに映るとの表現は常識では考えられないからだ。獰猛な大虎のつもりの様ですが、どう見ても可愛い"仔"(動物種ではない。)にしか見えませんぜ、という謂い振りが普通ではなかろうか。 ということは、読み替えが行われた訳で、その当時、"狗"に、反道徳イメージを感じ取った官僚がいたことを意味しているのかも。 忌み嫌う酒池肉林を繰り広げた王朝を思い出させる文字でもあるし。 一般には、この言葉が余りにも有名なので、"益々、狗 馬を收めて、宮室に充仞"の記述は影が薄いが、馬と違い、何の役にも立たぬタイプの犬を収集していたのだから。もちろん、他にも、野獸蜚鳥を放った動物園もあった訳で、そこがその手の大宴会の場所。[「史記」殷本紀第三] そうなると、概念的に狗とはヒトに馴化され尽くした愛玩的動物を指すことになろう。その場合、狗⊃役犬となる。 狗=純愛玩犬+熊の仔+虎の仔 犬⇒狗 熊⇒狗 (豸⇒豿) 虎⇒狗 この見方は「說文解字」解釈の"句[曲]"の見方に沿っているともいえよう。(もっとも、豿や虎仔を示唆した記述は無いが。)・・・ 馬⇒駒[馬二歲] 鼠⇒鼩[精鼩鼠] 牛⇒𤘽[n.a.] 豕⇒豞[n.a.] ⏩続 (C) 2025 RandDManagement.com →HOME |