■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[19f釋畜]■■■
「爾雅」は六畜をもって〆。

これは何なんだ感を味わわされることになるものの、「易」の見方で完にしたかったと考えればよいのかも。
もっとも、易では8にする必要があるが、雉を畜として加えても、流石に無理。
  ≪易七畜≫ [「易経」說卦八章]
馬  ━━馬屬
牛  ━━牛屬
(震龍)
雞  ━━鷄屬
豕  ━━彘屬

狗  ━━狗屬
羊  ━━羊屬

尚、用語的に"駮如馬" "膝上皆白 惟馵" "左白 馵" "馰顙 白顛"とあるので、釋畜は「易」との関係上設定されたとの見方もあるようだ。[内藤湖南:「爾雅の新研究」・・・釋獣には釋畜記載用文章が誤って入っているという、何の証拠も無いどころか、それならこの書自体が出鱈目であると見なすことになるにもかかわらず、それが全く気にならないのが、儒教学派の官僚統制思考的主張の特徴。この「易」論調は、それとは異なる主張に映るが、完璧な同類。仮説⇒検証という発想は唾棄すべきもので、どうあれ大御所のご意見に従う決まり。その見方を変えるには政治闘争。考えればわかるが、釋畜で「易」と同じ使用文字があるというなら、他ではほとんど使っていないのか。「山海經」にも見られる点をどう解釈するのか。素人でも当たり前に考えることについては語らない。間違う人が多いが、この手の当たり前の指摘は意味が薄いどころか、逆効果になるので避けた方がよい。官僚絶対統制とは「論理を隠れ蓑にするな!」という思考パターンでもあり、これ対する議論には熟練を要する。中華帝国ではつまらぬ議論で抹消されることは稀ではないのだから。]

漢字についての一家言ありの書、「古事記」「說文解字」を、言語と文化という視点で眺めて来て、釋獸-釋畜の成立を考えると、この内藤湖南の指摘には鋭い直観が含まれていることに気付く。
≪易七畜≫とは八卦に畜を当てただけ。この嗜好は≪十二支≫とよく似ている。前者は数1〜8(23)対応の呪的な言葉だろうが、それを一般用語化(動物型トーテム対応文字の集合)するのに畜が用いられたと解釈するのが自然。これは、天文から生まれた数12でも、聖なる暦学語の一般化でも見られている方法論。おそらく、古代で一番インターナショナルな地位に就いていた遊牧民の知恵。
・・・気安くそんなことを考えてしまうが、太安万侶に見習って、よくよく考えると、もう一歩踏み込む必要があることが見えてくる。
トンデモ論に映るだろうが、狩猟民とは獲物を求める移住者か少数家族の定住者とのドグマは大きな間違い。大陸にあっては、狩猟民は最初の定住者。
考古学的にそれを示唆する証拠が発見されていないようだから致し方ないものの、この見方の方が論理的にすっきりしていることだけは間違いない。逆に言えば、農耕民とは焼き畑や芋栽培で分かるが、もともとは栽培地を求める移住者。(日本列島の倭人の祖は、雑炊的文化愛好者であるからして、元祖半定住の狩猟農耕民ということになる。数字は23型だが、仏教伝来以前から畜経済を嫌っているので、大陸型狩猟民の系列では無い。)
野獣の群れを一網打尽にする仕掛け追い込み猟こそが、古代の先端文化地域の経済を支えていたのであり、そこから牧畜に転化したとの仮説も成り立つことに注意を払う必要があろう。(原牛はあっけなく絶滅させられ、定住狩猟経済は一気に崩壊し定住民霧散の憂き目。この流れは牧畜経済として、移住型遊牧とオアシス的定住牧畜が栄えることに。)
  

     

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