■■■ 「說文解字」 卷十五【叙】 を眺める [1] ■■■
太安万侶が「說文解字」を読んだとすれば、おそらく、異様な観念の塊と受け取っただろう。(それは、個人精神の国家統制を肝とする儒教の本質を即座に理解することに繋がる。)

そのセンスの有無は「古事記」理解に極めて重要と思うので、少々書き留めておきたい。

なんといっても、巻十五[叙]の内容については、まともに触れておく必要があろう。

ここはどう見ても序。最後に持ってくるべきものではない。読者諸氏は、読むに当たっての注意事項や、【編纂方針】を気にもせずに、本編から目を通すべきと考える著者はまずいないからだ。(現在の実態はそうではないが。)このことは、巻十五は後付けであって、様々な忖度から本当の【編纂方針】を書いていないかも知れないから注意して読むように、ということになろう。

この見方は極めて重要で、この書の本質定義に係ることでもある。
と云っても、内容説明が難しい訳ではない。・・・漢字を字形の視点で博物学的に検討したもの。(その後2000年間、白川漢字学登場迄、同類の書は登場しなかった。)

ここで注意して欲しいのは、特定文字情報を知りたい人のために便宜を図ろうとの目的で成立した訳では無い点。つまり、巷に溢れる漢漢辞書や文字百科事典のような書とは全く異なる。従って、目次はあっても、巻十五で言及される部首番号的索引は実は邪魔者。膨大な文字量を所収する辞典とは目的が根本的に違う。
つまり、14巻に分けて所載されている文字を全て眺めることで、すべての漢字を俯瞰し、その類まれなる思想性を実感できるように工夫したと言う事。
従って、読者には、最初に【編纂方針】を知って欲しくないことになる。

逆に言えば、14巻を眺め終わって、それなりの気付きを得た上で叙を読むと、この書の偉大さが分かる仕掛けでもある。(ある意味尊大な儒教的教条書とも言えないでもない。文字には総体として厳然とした<秩序>が内在していることを示したことになるからだ。)

・・・しかも、叙を読むと、その合理的秩序観がただならぬものであることが見えて来る。(単純化すれば、文字とは、易の体系の拡張版。)序たるべき【編纂方針】と<"六書"の解説>以外の後記的記述が縷々語られているからだ。
  【文字起源とその展開】
    …易"八卦"(by 天下支配の古者)
     施政上の記録"結縄"(by ~農氏)
     "書契"(by 黄帝の史)
  【文字標準化と統一】…秦
  【古文の重要性】…世人の無理解状況

文字とは、象形・図絵・記号の類だろうから、そんなものだろうと通り過ぎる訳にはいかない。
拘り続けた無文字社会から、ついに脱皮の決断を下した倭国社会での、ピカ一知識人たる太安万侶からすれば、このコンセプトは異常そのものに映ったに違いないからだ。

文字の意味として、真っ先に考えるべきは、宇宙論ではなく、口誦言葉と記録用文字の関係ではないのか、となる筈。
ところが「說文解字」では、この部分はほぼ無視を決め込んでいる。換言すれば、宇宙秩序と云うか、天地形象とでも云うべき易によって中華帝国は秩序化されており、漢字はその体系の一部という考え方。
従って、自動的に、天子独裁-官僚統治の儒教帝国としては当然の姿勢(百工管理の要諦)としてそうならざるを得ないことに、気付かされることになる。
     


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