■■■ 小篆文字検討@「說文解字」「爾雅」[天地]■■■
"123"という視点で漢字を眺めたが、それは"一二三"とは無関係というのが、「說文解字」の姿勢。📖元天
そもそも、一、二には数としての意味が与えられている訳ではなく、単純な直線の1画⇒2画という当たり前の字体的な関連があるだけとの主張。

要するに、数は原初的な文字ではなく、比喩的な用法で生まれた文字ということになる。言い方は色々あっておかしくないと指摘しているようなもの。・・・
 #001#479
 一‖二…天地@易 (輕C v.s. 重濁)
 |‖‖…算籌(算木)
 𝍲‖𝍳…計數符號(フォント未実装機種は非表示。)
 弌‖弍[貳]
    貳は鼎銘を戈で削り、盟約に貳う意。
     その字形を一に適用した。@「字通」
 壹(Jp. 壱)‖n.a.
     壺中にあるものが醸して、その気がなかに充つる意。
     その充溢したものを一という。@「字通」
 蜀@南楚n.a.
 (單)‖兩 (雙)
 𫜢‖n.a.
 𠤪 𭍶‖n.a.
 甲‖乙
 子‖牛

・・・こう記載すると、<一 v.s. 二>≒<天地>と見なせると書いていることになってしまうが、系譜をよく見れば、そう単純な訳でもない。

<二-土-田>を地系列とするなら、普通の分類観に従えば、玉をここに加えざるを得ないからだ。

さらに、"一"は天なのか。地平線の象徴とも見えるのだから。
┌天
 ┌丄─示┐  #002-#003
  #001-#479-#004
 │   │
 │    #005
 │
 │┌──┘
 │─玨    #006-#007
 └┐
    #479
  │
  ─垚─堇  #480-#481-#482
  │
    #483
  │
  ─畕─黃  #484-#485-#486
└地

そもそも、天地は部首ではない。宇宙観の基本概念であるにもかかわらず。
  宇宙 天地 #001≪一≫-#480≪土≫
しかも、天文上の天空に関係する文字は上記との系譜的関連性は薄い。
  天体 日月星 #231-#237-n.a.   (曐:萬物之精 上爲列星)
    "示"…〈日 月 星〉…觀乎天文 以察時變 ~事

五行や本草的な観念からも縁遠い系譜になっているようだし。
  五行 金  #490
  本草 玉石 #006-#357

[附:宇宙観について]
「古事記」冒頭の国土創成期の記述からすれば、宇宙の始原は気と水であって、そこから非人格神が誕生するとの哲学が確立していることになる。
これは中原域の中華帝国に於ける観念や、天竺の土着的哲学と似た点はあるものの、根本的な違いがあると見てよさそう。

自然
(宇宙)の始原を元気としている点では、老子や道教的類似コンセプトも変らないと感じてしまうが、それはその手の知識があるから。このため、形而上学的風合いありとしがちだが、よくよく考えれば、箱庭的極東の島国での自然環境を観察すれば、当たり前の印象以上では無い。極めて具体的表現であって、印度哲学的な探求心とは無縁と見るべきと思う。

中原の天地概念は、図説的には、天とは半球ドームの蓋形状の円形個体であって、平面的四角形の地を上からカバーして回転しているというもの。この手の考え方は、自然と一体化して生きている倭人からすれば、普通の軸"回転"感覚と一致することなどあり得ない。
ただ、天球概念を用いた暦法の実利
(天体運行理論としては完璧。)からすれば、それを受け入れる価値は極めて高いというに過ぎまい。(但し、箱庭的地勢の場合、農林水産の実生活上で、すぐに格段の成果をもたらす知恵とは言い難い。)

つまり、天円地方の世界観とは、客観的な立場からではなく、官僚制統治システムに最適と見なされた作為的精神論ということ。
(統治機構外の立場では、対置概念として"無"の概念が顕れたりするが。)

・・・太陽も月も気から自然に成ったという宇宙観には、精神論や道徳論を含まないだけに、合理的解釈をしていることになろう。但し、それは、人為的法則の視点から眺めないだけに過ぎず、法則性が自明でない領域では、集団的非合理思考がまかり通るというパラドックスが成りつつことになる。

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