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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.2] ■■■
[368] 法華経聖句譚
「今昔物語集」の譚題は初等漢文的でSVO的配列に漢字を並べ、"語"(=話)で終わっているが、文章は漢字+片仮名文。漢文翻訳モノが少なくないので、いかにも漢文訓読直訳スタイルの文章も多いが、本来的には和文調を目指したのだろう。
意味ある語彙の語幹には漢字を用い、助詞・助動詞・活用語尾はカナを使う用法の文章にすることに意義を感じていそう。

「今昔物語集」の特徴は、いかにも恣意的な欠文や欠語が多いことで、たいていは伏字。ところが、和文化の問題点を指摘するための空欄と思われる箇所も少なくない。
和語に当てる漢字が定まっていないか、ママで漢字を使うのは不適当と主張していることになる。

やけに、些細なことに拘る編纂者と見ていたが、全体を眺めまわしていて、それは結構重要なことかもとも思えるようになってきた。

それは、往生譚にまで続く、法華経霊験譚の箇所でのこと。
どうもポイントは、法華経の"口唱"にあるようなのだ。

成程。
インターナショナルな観点に立つと、そういうことかと、感じさせられた訳である。

ちなみに、「法華経」巻四#10法師品には見、聞、讀、誦、書、持、供養という妙行が記載されている。全身で帰依を現すには、それが必須ということであろう。・・・
  受持…身体/肌で触れる。
  読
…眼で見て読み、
   誦
…口で唱えて、聞く。
  解説
…頭で理解し、口で語る。
  書寫
…手で(文字を)書く。
書写は請負専門業者もいるし、読誦は僧を招請してもよいのではあるが、最重要なのは耳に"詞"を入れることでは。

「今昔物語集」編纂者は、そこに気付いた可能性が高い。
どういう言葉を発して、それを聴き取ることこそが、信仰の原点ではないのか、と。

インターナショナルな眼を持つと、そんなことが気になる筈である。聖句の言語は、民族としての文化を現しているのは間違いないからである。
  インド亜大陸のベーダ教(ヒンドゥー)…サンスクリット語@アーリア
  ユダヤ教
…ヘブライ語@北西セム
  イスラム教
…アラビア語@セム
  古代ペルシアのゾロアスター教
…アヴェスター語
  東南アジアの上座部仏教
…無標準
  震旦、高麗、越南の中国仏教
…翻訳語(中国語)
  チベット仏教
…翻訳語(西蔵語)
  本朝仏教
…真言(梵語)+翻訳経典文(漢語)
    (和語としての、イロハ50音は、サンスクリット語用法の母音+子音による規格化)


本朝では、極めて雑炊的な文化が好まれていることがわかる。漢字にしても、震旦南方系の呉音と北方系の漢音が入り混じっている。後代になるとさらに禅宗と共に江南浙江から渡来した唐音までが加わる。勅令で統一を図ったこともあったが、さっぱり効果がなかったと言われている。
「今昔物語集」時代の仏典はもちろん一番古くに伝わった、食堂をジキドウと発音する、呉音であろう。
 (ex.:和尚=<呉>ワジョウ、<漢>カショウ、<唐>オショウ)

つまりは、法華経の漢語が常に人々の耳に入る時代となり、人々の琴線に触れる聖句が生まれたということ。
しかも、その好みは、それぞれ、という点に「今昔物語集」編纂者は嬉しさを感じたのではあるまいか。

  [巻三十一#_7]右少弁師家朝臣値女死語📖一目会ってからあの世へ
 藤原師家[n.a.-1058年]の親しい女が
 涙を流し経を読み終わって死んだ。
  
後五百歳中,若有女人、聞是經典,如説修行,
  於此命終,即往安樂世界,
  阿彌陀佛、大菩薩衆,圍繞住處,生蓮華中,寶座之上,
  不復為貪欲所惱, 
[卷六#23藥王菩薩本事品]

  [巻十三#27]比叡山僧玄常誦法花四要品語
 比叡山の僧 玄常は京の人。
 幼くして山に登り、出家し仏道修習。
 智恵が優れて広く、教義を得た。
 法華経を受習し、
 心中で、
 「法華経の中で、
  方便品、
  安楽品、
  寿量品、
  普門品、
の四品が神髄。」と悟った。
 そこで、四要品と名付け、特に深く信奉し、昼夜読誦。
 玄常の日頃の様態は普通とは違っていた。
 衣類は紙と木の皮製で、絹や布製は決して着ることがない。
 道行く時、川を渡る時、決して衣をはしょることもしない。
 降雨の日だろうが、晴れた日だろうが、
 笠をかぶることもまったくない。
 遠くへ行こうが、近くへ行こうが、履物も履いたことがない。
 そして、一生の間、戒律を守り、常に持斉。
 帯を解いて休むことさえしなかったのである。
 僧俗、貴賤を選ばずに敬い、鳥獣には腰をかがめた。
 世間の人々は、そうした振舞いを見て、
 正気ではなかろうと、疑っていた。
 そのうち、玄常聖人は比叡山を去り播磨雪彦山に移った。
 静かに籠って心を込めて修業。
 100個の栗の実で一夏90日を過ごし、
 100個の柚子の実が、一冬3ヶ月の食糧だった。
 山は、人里から遠く離れていたため、
 猪、鹿、熊、狼、等の獣が何時もやって来て、
 聖人に近寄って戯れており、恐れることもなかった。
 聖人は、
 人の心中を見抜くことができ、それを言い当てることができた。
 世の中の状況を見ての吉凶占いも
 当たらなかったことがなかった。
 そんなこともあって、
 世間の人々の間で、聖人を権化の人だとの噂がたっていた。
 聖人は臨終を迎えるに当たって、里に出て、
 知人の僧俗のもとに行き、別れを惜しんで言った。
 「お会いするのは今日が最後となりました。
  明後日、浄土の辺りに参ることになります。
  これから先、ご対面は、浄土でと、致しましょう。」と。
 そして、雪彦山に戻り、岩窟中に座し、
 心静かに法華経を読誦し逝去。

  [巻十三#37]無慚破戒僧誦法花寿量一品語
 仁和寺の東にある香隆寺の定修僧都の基に、
 姿が僧形なだけで、
 三宝を信じておらず、
 因果の道理を悟ってもいないし、
 その行状は俗人となんら変らない弟子がいた。
 常に、手に弓矢を持ち、腰に刀剣を帯び、
 ありとあらゆる不善・悪行を好んで行っていた。
 鳥獣を見つければ必ず射殺。魚肉を見ればすべて食べてしまう。
 愛欲心も強く、何時も女に触れたがっていた。
 このような状態の上、
 念珠を手に持つことはないし、
 袈裟を肩に懸けることもしない。
 真からの、破戒無慚者だった。
 にもかかわらず、法華経の寿量品一品だけは受持していた。
 しかも、身が穢れていようが、全く気にせずにく、
 毎日。必ず一遍は読誦していたのである。
 そのうち、香隆寺を去り、
 法性寺の座主源心僧都の弟子に。
 その車宿に住し、僧都お側に仕えた。
 ところが、重病で何日も患ってしまい、
 座主が哀れみ、戒を授けてやったのである。
 僧は、素直な心で受戒し、起き上がり、口を漱ぎ、
 心をこめて寿量品を誦した。
   :
   隨所應可度,為説種種法。
   毎自作是意,以何令衆生、
   得入無上惠,速成就佛身。 
[巻五#16如來壽量品]
 そして、そこまで唱えると、息を引き取った。

 
  [巻十三#14]加賀国翁和尚誦法花経語
 加賀に住む翁和尚は、心根が正直で、諂曲とは無縁の人柄。
 日夜、寝ても覚めても法華経読誦に余念なく、
 俗人の姿だが、その所業は、尊い僧となんら変わらなかった。
 そんなこともあって、人々は翁和尚と名付けたのである。
 衣食を得る手立てを持っていないので、
 布施に頼って生きており、常に貧しい状況だった。
 食物が入手できると、すぐ山寺に持って行ってお籠。
 法華経読誦三昧。
 食べ物が無くなると、里へ出て住んだが、
 読誦を欠かすことはなかった。
 そんな生活で10年以上経ったが
 貧しく、塵ほどの貯えもない。
 持っている物は、法華経一部だけなのである。
 山寺と里の往復で、住処も定まっていない状況。
 和尚は心中で、
 「長年法華経信奉してきたのは、
  現世の幸せを願ってではなく、
  ひとえに、後世の菩提のため。
  この願いが叶うなら、
  どうか御霊験をお示し下さるよう。」と請願していた。
 ある時、読誦中のことだが、
 口の中から歯が一つ欠け、経文の上に落ちた。
 驚いて手に取ると、それは、欠けた歯ではなく、一粒の仏舎利。
 これを見て、涙を流して喜び尊んで、安置し礼拝。
 その後、また同じことが、二度三度と。
 「これは、ひとえに、法華経読誦の力で、
  菩提を得ることができる瑞相に違いない。」とわかり、
 更に、怠ることなく読誦を勤めた。
 臨終に際しては、和尚は往生寺に行き、
 木の下に一人座って、
 身体になんらの苦痛もなく、心も乱れず、法華経を誦し続けた。
 息が絶える際は、自我偈を誦していた。
   隨所應可度,為説種種法。
   毎自作是意,以何令衆生、
   得入無上惠,速成就佛身。 
[卷五#16如來壽量品]
 譚末のご教訓では、"只心に随ふべき也"と。

  [巻十三#21]比叡山僧長円誦法花施霊験語
○比叡の山に長円という僧がいた。
 筑紫の人。
 幼時に比叡山に登って、出家し、法華経受習。日夜読誦。
 不動尊にも仕え苦行。
○葛木峰に入り、食を断ち、二七の14日間法華経読誦。
 その折、夢の中に八童子が現れた。
  身体に三鈷・五鈷・鈴杵などを着け、
  おのおの合掌し、長円を褒め称えた。
    奉仕修行者 猶如薄伽(/婆伽婆=釈尊尊称)
    得上三摩地
(=三昧) 与諸菩薩倶 [不詳]
  と誦し、法華経読誦を聞いていた。
 そこで、目が覚め、長円は、大変尊いことと思った。
○ある時、
 川の水が凍っていて、深い所、浅い所が見分けられない。
 このため、川を渡ることが出来なかった。
 嘆きながら、岸の上に一人たたずんでいると、
 突然大きな牛が、山奥からやって来て、この川を何度も渡った。
 何度も行きつ戻りつしたので、氷が割れ、水面が見えた。
 すると、牛は掻き消すように消滅。
 そこで、長円は川を渡ることが出来た。
 「これは、護法神が牛の姿になってお護り下さった。」と思った。
○熊野より大峰に入り、金峰山に出ようとした時のこと。
 深い山中で迷い、前後も分からない。
 そこで、心をこめて法華経を誦して、助けを求めて祈請。
 夢に一人の童子が現れて、
  「天諸童子 以為給仕」と告げ、
  道を教えてくれた。
 そこで、目が覚めた。
 行くべき道が分かり、金峰山に出ることが出来た。
○蔵王権現の社前で、終夜法華経を誦していた。
 夜明け頃に夢を見た。
  一人現れ、その様子からすると、年功を積んだ俗人。
  大変気高くわが国の人でなさそう。
   「きっと、神様だ。」と思った。
  その人が、名符を捧げ、長円に渡してくれた。
   「我は五薹山の文殊菩薩の眷属。
    名は于王。
    汝の法華経読誦の功徳は甚深。
    結縁のため、名府を奉る。
    現世と来世に渡ってお護りお助けしよう。」と言う。
 そこで、目が覚めた。
 長円は、涙を流し、法華経の霊験を尊んだ。
○清水参詣。終日法華経読誦。
 夢に、端正美麗で極めて気高い女人が、
  身を立派に装って現れた。
  長円に手を合わせ、
    三昧宝螺声 遍至三千界
    一乗妙法音 聴更無飽期
 [不詳]
  と誦した。
 そこで、目が覚めた。
○このように、長円には奇特なことが多くあった。
 それらを逐一記し尽くすことは無理。
 まことに、法華経の功徳と、不動明王の霊験はあらたかなもの。
 長久年間
[1040-1044年]、長円逝去。
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 讀是經者,常無憂惱,又無病痛,顏色鮮白,
 不生貧窮、卑賤醜陋。衆生樂見,如慕賢聖,
 天諸童子、以為給使。刀杖不加,毒不能害,
 若人惡罵,口則閉塞。遊行無畏,如師子王, 
[卷五#14安楽行品]

 爾時學無學二千人、聞佛授記,歡喜踴躍、而説偈言:
 世尊慧燈明, 我聞授記音, 心歡喜充滿, 如甘露見灌。 
[卷四#9授学無学人記品]

 度脱諸衆生 入仏無漏智
 若有聞法者 無一不成仏 
[卷一#2方便品]

 若人散乱心 入於塔廟中
 一称南無仏 皆己成仏道 
[卷一#2方便品]
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[註] 竺法護[譯]:「正法華経」286年
   鳩摩羅什[譯]:「妙法蓮華経」406年
   闍那崛多・達摩笈多[譯]:「添品妙法蓮華経」601年


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