→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2020.10.1] ■■■
[459] 醍醐天皇
「今昔物語集」の成立は推定1120年。74代[1107-1123年]鳥羽天皇期である。
50代桓武天皇による平安京遷都[794年]からの歴代天皇で、「今昔物語集」がハイライトを当てたのは、60代[897-930年]醍醐天皇。極めて特徴的と見たのだろう。もちろん、現代のテキストの視点とは相当な違いがあるが。
  〇延喜天皇と呼ばれる。…「今昔物語集」でのこと。
  〇治世34年と長い。
  〇菅原道真左遷。
…父上皇との確執か。
  〇「古今和歌集」撰進。
  〇清涼殿落雷。


特筆すべきは、母は"玉の輿"。この言葉の語源という説もある。
  【本朝世俗部】巻二十二本朝(藤原氏列伝)
  [巻二十二#7]高藤内大臣語📖藤原氏列伝 📖紅梅情緒
醍醐天皇陵は南山階にある母の実家を勧修寺とし、さらに向かいに大宅寺造営。醍醐天皇陵はその近く。御陵が確定的な珍しいケースである。

実質的権力は御室に居る父 宇多院だろうから、手慰みの時間が存分にとれ、相当に凝っていたようである。
  【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#_6]碁擲寛蓮値碁擲女語📖碁聖

当然ながら、歌にも。
皇子の御著袴料の屏風に色紙を、ということで小野道風が揮毫。ただ、処春帖の桜が映える情景で、女車という題で詠まれた歌がないので、考慮の上、伊勢御息所(藤原忠房の娘)に白羽の矢。
少将藤原伊衡が遣わされるが、その情景はまさに"いとおかし"の王朝絵巻。
その1首。
斎院の屏風に山道ゆく人ある所
散り散らず 聞かまほしきを ふるさとの 花見て帰る 人も逢はなむ[拾遺#49]
「今昔物語集」編纂者には、この話には相当な思い入れがあるように思える。
  [巻二十四#31]延喜御屏風伊勢御息所読和歌語📖和歌集

これだけでは、歴代天皇とそう違いはなさそうとの印象を与えるので、特別な能力をお持ちだったとの譚を配している。
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#14]九条堀河住女殺夫哭語📖"羅生門"
 夜、清涼殿に居られた醍醐天皇が、突然、蔵人をお呼びに。
 参上すると
 東南の方角で泣いている女がいるので探すように、との仰せ。
 内裏中探索すれど発見できず、申し上げると、さらに探すように、と。
 八省内探索すれど発見できず、申し上げると、外も、と。
 内裏東南の京中も発見できなかったが
 九條堀河の小さな家でついに泣き声を耳にした。
 報告すると、ウソ泣きなので、捕縛し連行せよ、との命。
 連行すると、即刻、検非違使に引き渡し処罰させるように、と。
 女は密通しており、夫を殺したのだった。

【ご教訓】天皇をぞ、
 「尚、只人にも御まさざりけり」と、
 人、貴び申ける。

和歌集ではないので、御製は引用しないつもりのようだから、引いておこう。
中将更衣に遣はしける
むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる [「新古今和歌集」#995]

 (C) 2020 RandDManagement.com    →HOME