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■■■ 「古事記」解釈 [2021.2.7] ■■■
[37] "碁"を使う理由は何だろう
「古事記」で、"日本で最初に「碁」の文字が用いられたとされる"[@「囲碁の起源 文献・文学との関わり」日本棋院]そうだが、ハイライトシーンでの使用だから、この文字には思い入れがあったのかも。・・・

〇伊邪那岐命・伊邪那美命が天沼矛を指し下してコヲロコヲロとかき鳴らして、成った島の名は "淤能呂"嶋。

○須佐之男大神が、初めて須賀宮を作られた時、 その地より雲が立ち騰ったので、御歌を作って詠った。
 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐
 都麻微爾(妻籠みに)
 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁

〇倭建命は、さらに行幸し、能煩野に到着された時、 国を思い、歌をお詠みに。
 夜麻登波 久爾能麻本呂婆
 多多那豆久 阿袁加岐
 夜麻母禮流(山籠れる)
 夜麻登志宇流波斯

碁とは無縁に見えるものの、他の字もあるのに、よりもよって、囲碁の文字を使うというのはどういうことか。ともあれ、「古事記」成立の時代、碁は皇室で当たり前のたしなみであったのは間違いなかろう。
音に拘りがあったも思えないが、洛陽の発音でなく、江南の音であることをことさら目立たせたかったのだろうか。
    ゴ or ギ[呉音]
    キ[漢(唐)音]
    (無)[訓]
現代中国の用語は、圍棋であり、この文字を使っていないから、尚更気になる。ただ、これは包囲盤上ゲームという意味らしい。木偏に音としての其の旁で構成されているが、漢代碁板は陶製だから、本来的にはこちらの文字が正統ではないかと思うが、木盤・木駒の将棋が主流ということか。(震旦は碁石に合う石がなかったようだ。3世紀の韋曜:「博奕論」では枯棊と呼ばれ、100%木製である。)元字は、箕筐内に小木塊を投擲する象形だから、木駒を飛ばし合った様子が見え、俗に言うボードゲームの線引き平盤由来の文字ではなさそうだ。
  碁/䃆=其[=箕]+石≒棋[=㯦]/棊[甲骨文字]
ただ、「説文解字」では、奕が圍棊也とされており、異称も少なくないようだ。王侯の嗜みとして不可欠だった割には、必ずしも棋で統一されていた訳ではなく、一般には、囲碁の発祥は中国とされているが、疑問を覚えるところである。
しかも、漢籍としては左丘明:「春秋左氏傳」襄公二十五年(前548年)に記載されているのが確認できるに過ぎない。将棋発祥の古さを考えると極めて新しい話しか残っていないことになる。震旦では、あくまでも囲碁が棋(ボードゲーム)の代表であり、常識的には将棋以前に王侯が行っていたと思われるが、なんの記録も残されていないのは極めて不自然に映る。
  書曰:「慎始而敬終.終以不困.」
  詩曰:「夙夜匪解.以事一人.」
  今ィ子視君.不如弈棋.其何.以免乎.
  弈者舉棋不定.不勝其耦.而況置君.而弗定乎.必不免矣.


もちろん、中国発祥説の根拠はこの書ではない。「史記」成立以前の書とされ、発明由来本「世本」がソースのようだ。碁は堯の時代に始まったとの由来が記載されているという。愚子に教えた、と。(堯舜代とされている場合のソースは普通は張華:「博物志」。"堯造圍棋,以教子丹朱。若白:舜以子商均愚,故作圍棋以教之。"   …堯が愚息でなく舜を帝位継承者にしたい話を掲載する「史書」には無い。知識人なら、このような馬鹿話を書く訳があるまい。バカ息子に囲碁を教えると賢くなると考えるなら、それはバカ親爺以外の何者でもなかろうて。)

しかし、空白期間が長すぎ、小生はこの記載を信用していない。なんでも、堯と結びつけたがる風土なのはよく知られていること。さらに言えば、そんな説を肯定して中華帝国を賛美したい人達も少なくないのが実情。
なんだろうと自国発祥にしたくなるのが、中華思想だからだ。
小中華の国を見れば、その体質は一目瞭然。
独裁者-官僚による統治とは、社会安定のためなら、原則、新しい風潮発生をできる限り潰す仕組みだが、その一方で、国権拡大にも熱心なのが特徴。統治圏外の新情報には目敏いものがあり、興味深い新事例を天子に報告し、興味ありと判定されれば早速取り入れ、注目されれば国内でのコピー改竄を命じ、価値ありとなれば当該地域毎すべてを取り込む算段を考えるもの。それが、帝国域拡大に繋がり、国は益々栄えるという思想。合理主義そのもの。(例えば、日清戦争敗北後の日本語取り入れは特筆ものだが、この記憶を消し去る必要がある。どうするかお手並み拝見。 …中国の"歴史"とは、そういうもの。)

常識で考えればわかると思うが、官僚管理の国で"面白い"モノが生まれる訳がなかろう。標準規格化された形式に従って、個々人が粛々と儀式的に生活することを強要される社会なのだから。
自由精神とインターナショナルな文化を愛する人々にとっては住みにくい国である、従って、「酉陽雑俎」の著者からすれば、文化的に魅力あるのはソグドと言わんばかりにならざるを得ないのである。知識人が、オアシスの自由闊達な都市文化に憧れるのは当たり前で、その頃の唐の都では、日本の"舶来"同様、西域の"胡"由来が垂涎の的だったのである。

広い地平で、全体を俯瞰し、包囲して領土と化すという囲碁の戦いは、いかにもオアシス域での戦いを彷彿させるではないか。ドロドロした連衡と離反の駆け引きや、兵法の世界とは余りもイメージが違いすぎる。だからこそ仙人が愛好するのは将棋ではなく囲碁なのでは。そうした魅力から、貴族の遊びとしてもピッタリとなったのだろう。
(参考)
 「酉陽雑俎」
・山中仙女が囲碁を楽しんでおり、木樵が見ていて時間を忘れる話
📖異界の時間
・武侯祠内で囲碁中📖墳墓盗掘
・囲碁の殺せの言葉で間違われて僧処刑📖恣意的な誤記
 「今昔物語集」📖碁聖

それに、古代囲碁の伝統を引き継いでいるのは、現代中国ではなく、漢代出土品と同じ17盤のチベット碁という点にも留意すべきだろう。唐代からは19盤なのである。ママのコピーは面白くなかったとしか思えまい。由緒正しき規定だったとすれば、正当な理由無しに勝手に変えることは考えにくかろう。と言うか、どう見ても、天の72節[=(19-1)x4]・陰陽360[=19x19-1]に合わせて変更したに過ぎない。天円方地になっている由緒正しき神聖なモノとして、このタイプ以外を禁忌として、国を挙げて大喜びさせた図絵が描けそう。確かに、このような手法こそ中華帝国発祥以外の何者でもなかろう。

ただ、ここらは中華思想の国家にとっては、沽券に係わる重要事項。天子の嗜みとしてしまった以上、天命に係わってくるから、奏楽・囲碁・筆法・描画は中国発祥でなければならないのである。

太安万侶が、こんなことを考えたことがあるのかはわからぬが、少なくとも中華帝国では滅多につかわれない"碁"という漢字をわざわざ登用したのだから、震旦の風土とは違うとの自負があったように思える。
渡来文化を有難がって受け入れているように見える本朝だが、震旦の姿勢とは違うということで。

ちなみに、将棋の方はインダス文明由来と見られている。こちらは出土品があるし、震旦に象は棲息していないから間違いない。西洋へはペルシア経由だが、東方ルートはわかっていない。
将棋は、それぞれの地域毎に独自のデザインを導入することで、一般大衆化への道を切り拓いたことがわかる。
 《インダス》 ⇔ 《 西 方 》 ⇔ 《 震 旦 》 ⇔ 《 本 朝 》
 チャトランガ(四方陣) ⇔ チ ェ ス ⇔ 象 棋 ⇔ 将 棋
 【立体駒】 ⇔ 【立体駒】 ⇔ ○【円板駒】 ⇔ ☖【五角平駒】
 ラージャ王 ⇔ キング/國皇 ⇔ 帥 & 將 ⇔ ""将&王将
 マントリ将 ⇔ クイーン/皇后 ⇔ 仕 & 士 ⇔ ""
 ラタorローカ舟⇔ルーク/城堡⇔俥&車/炮&砲⇔ ""車/飛車
 ハスティーorガジャ象⇔ビショップ/主教⇔ 相 & 象⇔""将/角行
 アシュワ馬 ⇔ ナイト/騎士 ⇔ 傌 & 馬 ⇔ ""
 パダーティ歩兵 ⇔ ポーン/士兵 ⇔ 兵 & 卒 ⇔ 歩

ついでながら、震旦で古代流行したボードゲームは、象棋(将棋)・圍棋(囲碁)の他に、雙陸(双六)もある。こちらの由来はメソポタミア文明のウル@シュメールと見てよさそう。ほかに、賭博の語源で知られる六博と彈棋があるが、廃れてしまい情報が乏しくよくわからない。

【追記】中華風土のお蔭で、こうしたことが縷々書けると言うパラドックスについても触れておこう。素人からすれば、「日本書紀」原文は、今でも中国の日本国史ソースしか使い物にならない。単なるテキストベースの公開でしかないが、日本国内ではできないのである。「万葉集」も少し前までは米国の大学のソースを利用するしかなかった。これこそ、まさに合理主義を嫌う日本型風土そのもの。ちなみに、古代の主要漢籍の一括語彙検索ができる仕組みがあるから、素人でも1秒で出典が探せる。ご想像できると思うが、日本語は難しいから、このようなことができないのではない。

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