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■■■ 「古事記」解釈 [2024.4.9] ■■■
[854]読み方[24]
「水鏡」の一瞥をお勧めしているのは、「古事記」に触れていると、それなりの気付きが得られるから。
その3つ目[→]の続き。・・・

㉑大長谷若建命/雄略天皇の暴虐性発揮譚と呼べそうな譚は、⑳[御子]穴穗御子/安康天皇の段に収録されている。

殺戮の前段譚はいたってシンプルで、殺害した王の妃を娶ったものの、連れ子に寝首を斬られて崩御。
     ㊁根臣讒大日下王
     ㊂目弱王打斬天皇之頸
     ㊃御陵
ここで大長谷王子登場となる。
     ㊄童男大長谷王子
"取天皇"という大罪に対して、即刻、皇子が対処すべきは当然のことと考える王子は、兄の元へ馳せ参じるが、兄は不驚。
この反応であれば、常識的には、7歳の目弱王に判断能力があるとは思えないから、兄王はそそのかしの陰謀を企てていたと解釈することになろう。邪心ありと判断すれば、それなりの措置を講ずることになるのはおかしなことではなかろう。
     ㊅臣都夫良意美刺殺王子
  長兄には、即刻、≪握其衿 控出 拔刀 打殺≫。
  次兄には、≪握其衿 以引率來 到小治田 掘穴 而 隨立埋・・・死≫。
  その恐怖を与えた残虐性は、≪至埋腰時 兩目走拔≫として語られている。
     ㊆大長谷王射落市邊之忍齒王  さらに、忍齒王を猪鹿狩に誘い射殺し、遺骸を≪入於馬樎與土等埋≫。惨殺ではあり、確かに暴虐そのものではあるものの、それは忍齒王が仕掛けたからでもある。その姿勢は、≪以平心隨乗御馬≫と記載されており、大長谷王を見下しているも同然。崩御天皇の唯一の直系御子たる大長谷王を皇継とみなすつもりは更々なく、自分が即位する所存であると示したようなもの。
忍齒王はすでにその地位にあると自負しているのは間違いなく、「古事記」はそこらの事情を踏まえて、よく書けていると思う。


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