■■■ 「古事記」叙事的訓読  ■■■
㊦㉑大長谷若建命㊀長谷朝倉宮
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5 大長谷おほはつせ
5  若建わかたける_(の)
7   みこと_ 長谷はつせ
7      朝倉あさくら_(の)みや_
5       ましまし_
5        あめ_した_(を)
7         をさめ_たまひ
7 天皇すめらみこと_
5  大日下おほくさか_(の)
5   みこいも
7    若日下わかくさか_
5     みこ_(を)
5     めあは-せ_
     【无子】
2  また(○○○)
7  都夫良意富美つぶらおほみ
7    むすめ から比賣ひめ_(を)
5     めあは-せ_
7  あれまし御子みこ_
7     白髮しらか_みこと
5   つぎ_いも
5     若帶わかたらし
6      比賣ひめ_みこと(○)

6 かれ 白髮しらか_(○)
7  太子ひつぎのみこ
7   御名代みなしろ_ため_(に)
5    白髮しらか_
4     さだ-め_(○)
7  また 長谷はつせ_
7     舎人とねり_さだめ_(て)
5  また 河瀬かはせ_(の)
7     舎人とねり_さだめ
7        _たま-ふ  _とき
4  呉人くれひと(○)
6   參渡ま-ゐ・わた-り(○)
7     _呉人くれひと_
6        安置呉原くれ_はら(○)
6           やす-く・お-きし
5 ゆゑ_ _(○)
7      ところ_なづ-け_(て)
5       呉原くれ_はら
4        _い-へり (○)

--------------
○[21]長谷朝倉宮は初瀬川扇状地立地と思われる。出土品銘文から斯鬼宮も存在していたようだ。以下の様に規則的な遷宮が見て取れるが、その理由は自明ではない。
┌──[29]___↓
┌──[25]長谷__宮
└──[21]長谷__宮
└──[17]___↓
 ┌─[33]___↓
 ┌─[29]師木_
 ├─[25]___↑
 ├─[10]師木__宮
 └─[11]磯城__宮
┌──[34]___↓
┌──[30]     (@伊波禮)
┌──[26]伊波禮_宮
└──[22]伊波禮_宮
└──[18]−
└──[17]伊波禮_宮
┌──[28]−
┌──[24]石上__宮
└──[20]石上__宮
┌──[33,34]   (@飛鳥)
┌──[27]−
┌──[23]__飛鳥宮
└──[19]__飛鳥宮

📖御名代と御子代の違い指摘の鋭さ
≪伊久米伊理毘古伊佐知命≫・・・次 伊登志和氣王者【因 无子 而 爲伊子代 定伊部】
≪大長谷若建命≫・・・故 爲白髮太子之御名代 定白髮部
≪御子白髮大倭根子命≫・・・此天皇無皇后 亦 無二御子 故 御名代 定白髮部
≪小長谷若雀命≫・・・此天皇无太子 故 爲御子代 定小長谷部也

○㉑大長谷若建命を指すと考えられる出土鉄剣の金象嵌銘(獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮)によれば、宮は長谷朝倉(城上)でなく斯鬼(磯城)にもあった上に、そこには寺が存在したことになる。辛亥年の記載があるから仏教公伝の約60年前の471年時点。・・・素直に「古事記」を読んでいれば、驚くようなことは何もない。

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