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2007.8.22
 
 


物理学会の奇妙な提言について…

 記事のタイトルに「!?」がつくと、たいていは面白コネタかビックリニュースの類が多いが、そうでないものもあることを知った。

 日本物理学会による、「若手の研究者は、仕事時間の20%を自由に使って好きな研究を」という提言に関する記事のこと。(1)
 「ユニーク」な提言であるのは確かだが、記者がこんな表現にするとは思えない。
 それでは、どうしてか。 

 博士号取得者の「就職先を増やしたい。」ために作ろうというルールだからである。「若手に新しいことに挑戦する時間を与え、学問の幅を広げることで就職先を増やしたい。若手を雇用、指導する側の意識改革が必要」なのだという。“若手が異分野の研究も行うことで人材としての魅力がアップすると考えた”らしい。

 この提言は日本物理学会のホームページに掲載されていないようだから、真偽のほどはよくわからないが、これが本当なら、「!?」もうなづける。多分、文化省の「人材のキャリアパス多様化促進事業」(2)に係わる話だとは思うが。

 しかも、この方策には自信満々。「他の学会などにも呼びかけ」ていうから、さらに驚いた。

 確かに、ポストドク1万人計画のお蔭で人数は2万人規模になったが、就職先もなく不安定な身分の人は多い。
 応用物理学会では、学会発表のスライドで求職中表示ができるようにした位で、(3)深刻な問題であるのは間違いない。
  → 「科学技術者増産で産業競争力は向上するのか 」 (2003年5月14日)

 この方針、確かに、わからないでもない。
 “「視野が狭い」「社会性がない」と企業側はみなし、博士の採用を敬遠”するのは事実だからだ。

 しかし、ピントがえらく外れている方針と言わざるを得ない。
 違う分野で自由研究を行なえば視野が広がるとか、社会性が生まれる訳ではない。それがわからないのだろうか。
 あるいは、他に方策が見つからないということか、最悪の場合は、問題の本質を全く理解していないのかも知れない。

 それに、常識で考えて、研究に没頭している博士がこんな話によろこんで乗るとは思えない。もし、そんな博士をなら、ビジネスマンはさらに採用を躊躇するのではなかろうか。
 時間は有限である。博士は時間をもてあましている訳ではない。互いに成果を出そうと競走しているのであり、いかに素晴らしい論文を仕上げるか、日々苦闘しているのではないのか。
 ビジネスマンがその立場なら、他のことを考える暇がある位なら、論文のことに頭をつかうだろう。

 どうして、ビジネスマンが博士に魅力がないと言うかといえば、それは専門性が狭すぎるからではない。専門分野の知識だけで研究をしているように映るからである。
 独自なアイデアの創出、気付かないようなテーマ案出、オリジナリティを感じさせる論理展開、といった“知恵”を感じさせない人が余りにも多いからだ。

 はっきり言えば、“どうしてそのテーマで研究をしたの?”、“その結果、何が得られ、どんな価値があったの?”、“独創性はどこにあるの?”という質問に対して、曖昧な答しかできないということ。
 こんなことがスラスラと言えない人に、企業が期待する訳がなかろう。
 アカデミズムにいる人達は、このことがわからないのだろうか。

 まあ、それも致し方ない面もある。

 例えば、ノーベル賞を受賞した実験物理学者小柴昌俊氏に、自由時間を与えていたらおそらくプラスに働くだろう。誰が見たところで、頭抜けていたからこそ、Ph.D.を短期間で取得できたのだと思う。
 おそらく、こういう人は、研究活動に極めて厳しい筈。自由研究に時間を使うどころではなかろう。しかし、だからこそ、自由研究の時間を与えようというなら、意味はあるかも知れない。視野が広がると、新し発想が生まれる可能性が高いからだ。
 素粒子の実験物理という狭い分野に興味が集中しているから、ここで成果が得られてだけで、違う領域に興味が湧いていたら、その分野で成果をあげていたと思う。

 フィールズ賞を受賞した数学者の森重文教授にしても、高校生の時から、すでにその力は想像がついた。小生も「大学への数学」という受験雑誌で点数を競うのが楽しみだったから、この名前には覚えがある。
 頭抜けた人はいるものである。

 ノーベル賞受賞者ではないが、散逸揺動定理を確立した統計物理学の故久保亮五教授もそんな方だろう。
 始めは物性物理で活躍され、「ゴム弾性」で有名になった。しかし、物性研究を極めず、非可逆過程の熱力力学の分野に入っていったのである。
 ビジネスマンから見れば物性研究者から、統計力学の理論物理学者への転身ということになろう。
 専門で実力が発揮できる人なら、興味さえ湧けば、他の分野でも力を発揮するということだ。

 しかし、こんな話を一般化しようと思う人はおそらくいまい。
 大多数の学生には、比類するほどの能力はない。
 昔、久保亮五教授の講義を無断聴講したことがあるが、学生は皆真面目そのもの。
 要するに、ノートをとる以上のレベルではない。それが現実である。
 極めて優秀ではあるが、どんぐりの背比べということ。この状態が大学入学から博士課程までずっと続く。
 もし、自分がその立場だったら、リスクの高い研究テーマは避ける。そこそこの難易度で、比較的わかり易く、万人受けしそうな研究テーマを選ぶことになろう。この方が、どう見ても、ポジション争いで勝てる可能性が高そうだからである。
 この姿勢が、自由研究を導入したから、変わるとは思えない。
 換言すれば、創造性とか、オリジナリティの観点で、特筆すべきものがなさそうな仕事をする傾向があるということ。
 つまり、注目を浴びるほどではないが、そこそこ筋がよさそうなテーマを上手くこなすことに全力を注ぐ体質なのである。当然ながら、競争相手との差が大きく開くことはない。
 ポジション争いは、運とコネで決着せざるを得まい。

 要は、どんぐりの背比べ競争になっているということである。
 博士増産の掛け声の結果、こんな状況が益々ひどくなったということだ。

 この状態で、自由時間をとれと言ったらどうなるだろう。
 少しでも、良い論文を出そうと必死に努力しているのに、突然、その時間を削れという“お達し”がでるようなもの。
 実力があると自負している人でなければ、ポジション争いで敗者になりかねないことを喜んで行なうとはとても思えないのだが。
 それに、そんな感覚の研究者に、自由時間を与えたところで、成果が期待できるものだろうか。

 つまらぬ批判をしてしまったが、博士号取得者が本当に企業人になりたいというなら結構な話である。ただ、自由時間を作ると、企業向きの人材が増えるとは思えないから、20%ルールなど、よした方がよいというだけのこと。

 そんなことより、今やっている研究を磨くことの方が重要だと思う。
 少なくとも、素人にもわかるように、自分が行なった研究の価値を明瞭に示し、どうしてその成果をだせたかが説明できるようにすれば、それだけでも相当違う。
 企業側には、アイデア創出能力や、創造性、オリジナリティを判断する能力は不足してはいるが、研究者の思考能力と、センスの良し悪し位は、研究者の話を聞けばピンと来る。
 少なくとも、研究テーマを深く考えているか、わかりきった仕事を一生懸命こなしているだけかは、わかる。
 言うまでもないが、後者を採用する気にはなれまい。

 そして、もっと重要なのは、本当に企業のなかで働く気があるか、と言う点。
 そう見えない人は、雇いたくないのは当然の話。
 自分一人の殻に閉じこもる人が、企業で成果があがると考えるビジネスマンがいるとは思えない。
 「視野が狭い」とは、テーマの選び方や、仕事の進め方が、独りよがりでワンパターンに見えるということ。分野が狭いという話とは違う。
 「社会性がない」との指摘も、何故、そのテーマを選んだのか、どうしてそのような研究計画にしたのか、ビジネスマンにわかるように説明ができないということ。これも、分野の話ではない。
 簡単に言えば、企業組織のなかで、力を発揮できそうにない人材と見なされれば、採用される筈がないということである。

 素粒子だろうが、待ち行列だろうが、本当にその分野の知識が必要なら、企業は先を争って雇う。ビジネスマンなら当たり前。ただ、それは実験装置を作る企業や、交通システム構築ビジネスを推進している企業に限られよう。そんな、雇用の数はたかが知れている。多くは、専門分野外の仕事をしてもらうことになる。
 その場合は、例えば、以下のような能力が無ければ話にならない。それぞれの能力に合った業務など、企業内にはいくらでもあるが、能力があるように見えないのに企業内の研究職を希望すれば答えは自明である。
  ・ 誰が見てもわかるしっかりした報告書を作成し、納得感を生む説明ができる。
  ・ 研究計画書を短時間で書け、作業の指示や進捗管理ができる。
  ・ 原理原則の観点で、問題の本質を的確に指摘できる。
  ・ オリジナリティあるテーマを提起できる。
  ・ テーマ選択の独自の視点があり、その視点で的確な評価ができる。
  ・ 仮説を論証するためには、どんな手順を踏めばよいかすぐに語れる。

 ・・・実は、こんな細かいことはどうでもよい。
 専門家だから雇ってくれという姿勢ばかり目立ち、柔軟性が感じられないことが問題なのだと思う。ビジネスマンは、これでは一緒に働けそうにないと感じてしまうのである。

 そもそも、企業内で成果を出している、博士入社の人を、学会や研究室が歓待したことがあるのだろうか。言うまでもなく、大学での研究分野とは違う分野に転進した人達である。
 本気で就職したいなら、そんな先輩の話を真剣に聞くことから始めるべきではないのか。
続く>>> (2007年8月23日予定)

 --- 参照 ---
(1) “「博士余り」解消へ「20%ルール」!?物理学会が提言” 読売新聞 [2007年7月16日]
  リンク切れ[www.yomiuri.co.jp/science/news/20070716i501.htm]
(2) http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/05/07051520/001.htm
(3) http://www.jsap.or.jp/activities/annualmeetings/CEmark.html
(Newton/Einsteinのイラスト) (C) 紀唯 Kye-Studio.info http://www.kye-studio.info/at.html


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