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2003.9.10
 
 


うすいの不思議…

 福島県郡山市のデパート、うすい、が産業再生機構の支援第一陣として再建されることになった。
 (http://www.ircj.jp/pdf/20030828c2.pdf)

 「人口30万人を超える郡山市で百貨店は必要不可欠な存在」で「地方百貨店再生のモデルとなる可能性が高い」から、モデルケースとして選定されたのだという。
 郡山の顔である「うすい百貨店」の再建は、県内有数の繁華街である中央通り商店街の振興にも重要とされている。
 もっとも、同じく顔と言えそうな、ホテルはまつ(ホテルオークラチェーン加盟)の方は2003年9月29日に、民事再生に入った。
 (http://www.fukushima-minpo.co.jp/news/kennai/20030830/ronsetu.html)

 郡山駅前の実情を知っている、都会の住民にとっては、全く理解しがたい政策である。
 駅前の店舗競争は呆れるほど不思議な状況にあるからだ。

 もともと、郡山駅前には、大規模店舗として、老舗うすいのほかに、郡山西武、ダイエーがあった。ダイエーはトポス郡山として変身を図ったが、結局、閉店に負い込まれた。
 その他にも、まるい郡山店、SUNCITY(駅ビル)がある。大都市なのである。

 うすいは、駅前店の集客力が落ちたため、1999年大規模投資を敢行した。地下1階、地上10階の、巨大売り場を作り、高級ブランドショップを並べた。素晴らしい商業施設である。
 と言っても、東京の住民から見れば、新宿高島屋のコピー版を、人口が小さい地方都市で試みた「冒険」施策に映るが。
 要するに、過剰店舗状況下で、生き残り競争を仕掛けたと見ることができよう。

 この流れはすぐに現実のものとなった。郡山西武は1999年中に赤字に直面し、2000年には閉店することになった。駅前店から、大型郊外店ザ・モール郡山にビジネス基盤を移転したのである。
 ザ・モール郡山は西友系列のとてつもない大規模な郊外店なのである。郊外店の競争力は益々強化されたことになる。
 一方、郡山西武のビルは、Ati郡山となり、ファッション専門の商業スペースに変わった。

 この地方都市の驚きは、このような駅前店不振が見えているにもかかわらず、2001年に、同じコンセプトの大型店が開店した点である。

 2001年に、モルティがオープンした。郡山駅前再開発ビルが建築されたが、入居者不足でファンション商業スペース化を図ったのだろう。Ati郡山とダイレクトに競合することになる。

 いつまで店舗過剰を続けるつもりなのだろう。・・・郡山は新宿とは違うのである。

 しかも、この過剰は人為的に作り出されているのだ。

 うすい百貨店の再オープン時、国の第1種市街地再開発事業として約32億円の行政補助を含む約150億円が投入されている。ホテルハマツについても、旧建設省の虎丸地区優良再開発建築物整備促進事業の一環として国、県、市が約1億3千万円を助成した。
 うすいの「中町」、まるい郡山店と郡山西武(Ati郡山)の「駅南」、駅西口再開発ビル周辺の「駅北」、トポス郡山跡の「大町」の4箇所を拠点とした回遊性ある街づくりを進めたのである。

 ようするに、このような政治主導の「コンベンション都市郡山」構想が破綻した訳だ。
 (http://www.minyu.co.jp/keizaikento/keizaikento3.html)

 うすい支援とは、どう見ても、地方政治が挑戦したバブル施策破綻の救済策に他ならない。

 確かに、民間では対応しかねる。正に、モデルケースといえよう。


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