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2010.9.7
 
 

雑感: 民主党代表選挙討論会を眺めて…

討論会の御蔭で、候補者の考え方がよくわかった。
 民主代表選討論会は、質は低かったが、何を考えているかなんとなくわかり、実に面白い。東京も大阪も、街頭演説会が盛り上がったそうなので、今頃になって見る気になったのである。
  → [Recorded Live] “民主党代表選日本記者クラブ主催討論会” 2010年9月2日 (C) USTREAM
  → 【公開討論会・詳報】 (C) 産経新聞

 ここで、質が低かったという意味は、日本が抱える一番の問題は何かを明確に語れなかったという意味。
 問題が設定されていなければ、課題が鮮明になる訳がないし、解決案が出てくることもない。この論理が見えない議論は、意味が薄い。
 それでは、両者は、政策として何を主張したかといえば、意思決定プロセスの改革である。最重要課題を設定できず、手法導入で組織改革すると問題が解決するとの動きそっくり。もうそんなことで奏功する時期はとっくに過ぎていると思うが。

 自民党型とは、現実を踏まえ、裏で調整しながら政策を決めるやり方。既得権益層に悪い影響が出ないよう配慮するから、当然、こまごまとした政策の羅列になる。ミクロでは意味ある政策もあるが、全体として意味があるのかはよくわからない代物になる。
 これに対して、民主党は、概念先行。ともかく考え方を変えようということ。ただ、二通りのやり方のどちらかにするかは決まっていない。一つは、議論をオープンにして調整しようという考え方。他方は、細かいことを気にせずに先ずは大胆に変えることから始めようというもの。今回、それがついに激突という構図。
【冒頭発言-政治文化】
[菅] 「役所の文化・・・を変えなければならない。」+「お金にまみれた政治文化を変えなければならない。」
[小沢] 「官僚任せの政治行政ではなく、政治家が主導する政治を実現する。」
  → 「“変えなければならない”派 v.s.“変える”派」の風土の違いを実感させられる言葉である。
【冒頭発言-政治家感覚】
[菅] 「政党というのは、国民が政治に参加するための、いわば土俵」「雇用こそが人間の尊厳、将来の不安に対して、最も必要最小限の必要なもの」
[小沢] 「今日の経済の停滞」「日本人の精神的な崩壊が始まりつつある」
  → 全く感覚が違うことがよくわかる。
【冒頭発言-政策課題】
[菅] 「雇用こそが今の経済のこの低迷、あるいは社会の不安感、あるいはある意味での社会保障の問題点を変えていくキーになる」
[小沢] 「マニフェスト(政権公約)」
  → 「現実路線 v.s.あくまでも原則路線」ということになる。
  → ところで、首相は、雇用が経済拡大になるとの“真逆”の驚異的理屈を開陳。クリーンなのは結構だが、それはマネーを稼ぐ現実感覚に乏しいというだけかも。普通なら、こんなトンデモ発言は致命傷で、市場から一顧だにされなくなる。だが、それはすでに折込済みのようである。経済問題では、意思決定者は首相ではないとみなされている可能性が高い。ただ、市場からすれば、財政再建路線を掲げ、バラマキマニフェストへの拘泥を放棄したので、それは大いに評価ということになろう。(逆に、それが環境税導入の切欠になると心配する向きもあるようだが。)

 まあ、こんな時に、自民党では森元首相が派閥を離脱したそうだから、(どうせ又戻るだけと見るべきらしいが、)自民党型調整政治もついに崩壊し始めたようである。野党になれば、既得権益集団間の利害調整と票集めのバラマキ政治で培ってきたスキルが役に立たなくなるのは当然の結果だろう。

両候補の差がわかったところで、それがなんだという気にもなってくる。
 真面目に選挙を戦っている状況を、面白いと評するのは不届き千万だが、正直なところそう感じてしまうのだから致し方ない。なにせ、どう見たところで「反小沢グループ v.s.親小沢グループ」の対立の構図にしか映らないからである。
 メディアは政局報道になると俄然張り切る体質だし、両者の違いを際立たせる面白ネタ探しに張り切る訳である。
<<揮毫>>
[菅] 「初心を貫く」(初の字の偏が示で誤字)
[小沢] 「   」(“真っ白”との冗談)
<<決起集会>>
[菅] マイクを握り涙。絶句。「がんばれ」と声援。
[小沢] 赤いネクタイで「最後のご奉公、そういう決意」と発言。谷亮子議員の音頭で「頑張ろう」。小沢コール。

 マスコミの調子は、どうも産経が強硬な反小沢で、朝日・毎日が親菅のニュアンス。世論調査結果が圧倒的に反小沢だし、大新聞が揃って、現首相応援なのは自然な流れだろう。
 ただ、思惑は色々。課題毎に野党に協力要請することで菅政権が続けばよいと見ている人達もいれば、民主党を分裂させて大胆な組み換えによる政権安定を願う人達がいたり、民主党が政権運営で頓挫し早く解散総選挙になるようにしたいなど、菅支持の意味は千差万別。
 なかでも面白いのが、大連立で野党首相があり得ると囃す口。「福田自民党との大連立を持ち出した小沢元代表 v.s.それを潰した菅元代表」間の戦いの復活を期待している訳だ。

 まあ、マスコミに踊らされず、どうでもよいから早く政権を安定させてくれというのが、常識的な期待ではないか。・・・どちらが勝っても、混迷は避けられそうにないから、ともかく早く決めてくれといった気になってくる。

確かに、小沢路線は劇薬臭い。
 しかし、両者の考えがこれほど水と油状態とは思わなかった。政府与党一体化ということで廃止した政務調査会を復活させたことは、思った以上に大きな話だったことがわかる。
 現職が推進中の予算について云々もないから、厳しい財政事情の下で政権公約の修正もやむをえないとも言えないのはわかるが、菅路線とはそういったリアリズムで政権運営するということ。小沢路線はその手の妥協を一番嫌うようである。「政治主導が確立されておらず、心配だ」という訳。
 これ、覇権争いででている話ではなく、抜本的な思想的対立と見るべきもののようだ。基本スタンスが全く違うからである。
【地方の財源・権限 国の出先機関】
[菅] 役割分担と権限委譲。 統廃合。
[小沢] 社会保障も含め一括交付 で地方自立 。 廃止。

 早い話、リアリズムに立脚し適当なところで折り合いをつけても、オープンな議論に徹すれば、従来の調整型政治から脱却できるというのが菅流。財源不足がわかれば、方向転換すればよいという調子。官僚も含め、皆で考えながら、余りに不当な出費を無くしていけばよいと考える訳だ。

 これに対し、それこそが調整政治を生んだ元凶と考えるのが小沢流。多少の副作用を気にせず大胆な変革から進めるべしとなる。豪腕と言われて当然。例えば、現行費用の7割を地方に回して自由に使わせれば、中央官僚や統括受託企業無しという中抜きになり、政策実行反対派に対する補助金バーターも不要となるので、無駄は自動的になくなるという発想である。細々と無駄を無くす努力など、意味が薄いと見ている訳だ。もしも財源が不足したら、無利子国債から始まってなんでもあり。どこからでも捻出すればよいと考えているのだ。圧巻。ともかく強硬路線一本槍。どうなってもよいから、モタモタせず早くけりをつけろということ。ズルズル調整の議論などしている場合ではないぜというスタイル。

 政権奪取すれば、使えるお金はいくらでもあるとはこういう話。財源の裏づけの観点での批判は全くのすれ違い。
 こんなやり方で政権運営されれば、存在自体を否定される組織も多岐に渡る訳で、なんとしてもこの政治家の動きだけは阻止せねばと動く人だらけになるのも当然の話。

日米関係は、どちらが勝利しても、どうにもならなくなりそう。
 そうなると、「リアリズムに基づいたゆるやかな政策転換スタイル v.s.大胆な方向転換スタイル」の戦いでもあるということ。この対立が安全保障問題にも持ち込まれるのか、大いに気になるところ。見てみようか。
 先ず、リアリズムで動く筈の菅路線だが、こと普天間についてはなんの方針も持っていない。この問題は総理大臣の決断で進める以外にない訳で、上手に立ち回るスキルが使える訳がないのだが。結局のところ、日米政府間の合意を反故にはしないが、何も進まないままでの放置になる。
 これは厄介そのもの。日本政府との交渉は時間の無駄とされかねないからだ。米国から見れば、機能しない政府との同盟関係などお笑い草以外のなにものでもない。
 もっとも、小沢路線はもっと凄い。もう一度、振り出しに戻させるつもりなのだ。
 要するに、両候補の対立の本質は、「悪循環進展速度抑制勢力 v.s.悪循環一気加速-決着勢力」ということ。
【普天間】
[菅] 「沖縄の負担軽減は普天間のもの以外でもかなり進むのでですね、そういう中で信頼感を積み重ねていく中でですね、いろいろな理解を得られないだろうかと。」
[小沢] 「沖縄の県民のみなさがどうしても反対だということになりますと、進まないわけですね。」「もう1度努力するということは、決して悪いことじゃないじゃないでしょうか」


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