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2017.6.1

一極集中を急ぐべし

日本は、ミギもヒダリも国家社会主義者だらけ。
大学教育無償化とか、奨学金返済不要化の議論がお盛んだが、そんな人々が絡んでいる施策に碌なものなし。
というか、日本における大学教育無償化とは、さらなる、地方への税金垂れ流し政策以上ではないからである。

そんなことより、急いで進めるべきは、地方から首都圏に勉学のために入る若者の生活費用援助施策だろう。この人達を開花させることができれば絶大な力になるからだ。

今、必要なのは、地方の若くて優秀な人材を首都圏に呼び込むこと。これこそが、経済振興の決め手。
そもそも、意欲があれば、地方に残りたい筈がないのである。自分の能力を生かした飛躍のチャンスを見つけることができる確率が、地方では異常に低いからだ。それを知りながら、生活費不足で首都圏に行けない人だらけなのだから、ここをクリアできるようにすればよいのである。と言うか、"夢"は地方公務員という学生が集まるキャンパス生活を嫌う若者を呼び込めというだけのこと。

日本には、もう金銭的余裕も時間もない。2025年の人口動態を考えれば、自明では。
日本経済を支える側の人間を一人でも多く輩出してもらうためには、故郷を捨てて、雄飛してもらわねばどうにもならないところまで来ているのである。

地方に残って力が発揮できそうなのは、伝統を受け継ぐ職人仕事だろう。
世界に冠たる技能を身につけ、唯一無比なら、超高収益事業が生まれる可能性もあろう。ただならぬ努力とビジネスセンスが必要だから、薔薇色の世界とは言い難いが。

経済的にはわずかに見える第一次産業だが、地方は、それを核とした経済の仕組みになっているから、これ以上のことは無理だと思う。・・・そもそも、日本の地方における第一次産業は、企業経営となんらかわらぬ一部の例外を除けば、すでに産業の態をなしていない。
ところが、その例外を取り上げて、それを一般化しようという大号令が下るのがこの領域の一大特徴。まともな経営を進める人々にとっては迷惑千番この上なしの"悪貨が良貨を駆逐する"施策だが、いかんともしがたいのである。
苦労して作り上げた市場を、次々と壊されていく訳だが、その自転車操業的に儲からない商売を次々と行ってもらうことこそ、地域にとっては一番有難い動きだからだ。
地域にとっては、第一次産業の利益などどうでもよい話であって、その関連で生まれる公共事業こそが眼目。これにより、村落が成り立っているように見えれば、第一次産業とは無関係にみえる省庁からの税金垂れ流しのタネを入れ替わり立ち代わり100%活用できる仕組み。
極言すれば、現在の第一次産業とは、地域の人々を食べさせるための理屈付けのために存在している状況とも言える。
これに、医療や介護の関連ビジネス産業がのっかり、まさに、税金を湯水のように使うことで成り立つ非自立型経済圏。
ここでは、与党も野党も無い。政治家への期待とは、より多く税金垂れ流しを実現してくれることだからだ。そして、当然のことながら、地域内配分の意思決定者に"ふさわしい地位"のお方でないとこまる訳である。

おわかりだと思うが、地方政治には"投資"という概念は無いのである。おそらく、金融機関でも希薄であろう。目利きの経験者は例外に属すからである。つまり、実態としては、国家社会主義国の放漫な経済運営とほとんど変わりはないことになる。

例えば、道路、鉄道、空港の誘致にしても、それは当座降ってくる工事の金とその後の維持のお金が目当て。勿論、"投資"らしき作文はあるが、それは"お座敷シンクタンク"がご要望に合わせて作ってくれたものに過ぎない。地元で金さえ使ってくれればそれで万々歳ということ。この構造を変えようと考える真っ当な人もいることにはいるが、徒労に終わろう。

そもそも、今時、クレジットカードさえほとんどつかえない街というのに、国際観光の先進地域と平然と称するのが地方の実態である。そのかわり、様々なイベントや街並み美化、果ては人影薄きなんの変哲もない公園造営といった、手を変え品を変えの公共事業目白押し。
どれだけ大きく税金のバラ撒きができるかで、政治家の価値がきまるのである。この風土を今さら変えようとしても無理である。

日本のほとんどの地方がこのようになってしまったのは、新陳代謝抑制を旨としているから。要するに、ヒト・モノ・カネ・情報の流通のスピードアップとコストダウンはさせたくないという姿勢を堅持しているのである。
但し、批判はご無用。残念ながら、喰うためにはそれしかないからである。お陰で、"地産地消で経済再生"という自滅経済学が大手を振って歩いたりするのである。

このような環境であることを知りながら、地方でのイノベーション創出を口にする人がいるのには唖然とさせられる。
そんな地域に、若くて優秀な人材を残してはならぬと言う主張ならわかるが。

要は、当たり前のことをすればよいだけのこと。

若者の、誰に、どのような可能性があるかは、他人には勿論のこと、自分でも皆目わからぬのだから、首都圏での勉学で自分の目指すモノを見つけてもらうべしというにすぎない。その地には、その気になって探せば様々な道があることがわかるし、情報が往き交っているから、勘が優れていれば、チャンスも見つけることができる筈だ。もちろん失敗すれば都会の片隅で生きるしかないかもしれず、リスクはある。しかし、飛躍に賭けることこそ若者らしさでは。
そんな若者達を支援して欲しい。
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