■■■ 「說文解字」「爾雅」検討[19gx釋畜]■■■
冒頭の<1>は別格だが、巻一での特別扱いの文字は<4>のみと書いたので、少々補足が必要かと。
他の数字は巻一から排除されている理由を考える必要があるヨ、と言いたかったからだが。

(元 天)--三-・・・-
(元 天)-(地)
(元 天)-五     
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そして、「說文解字」が提起している文字宇宙秩序とは、<540部首=数字[1〜9]x甲子〜癸亥[60]>でもある。

・・・おそらく、よくあるヘンテコ主張と同じ様に映るだろうが、これが儒教社会の実像と見た方がよい。易や五行と同根の現代の論理とは全く縁遠い観念で固まっていたのである。(現代に至ってもそこから脱皮しているとは言い難い。)

その辺りを実感できるのが、白楽天[772-846年]の呼び方。
地方官吏の次男として生まれたと記載されていることはあるが、兄弟何人なのか、宗族的位置はどうなのかという情報は欠けている。気になる人はいないだろうから、それはそれで結構なこと。しかし、「爾雅」を目にすれば、詩才発揮の幼少期のことより、そこらが気になる社会だったことが想像される訳で、その辺りについて配慮した方がよいと思う。

儒教社会では、家族内序列も統制されており、<排行>という用語がある。(「送元二使安西」で習うから、用法は知っている筈。)白居易は白二十二郎だそうである。もともとは数字でなかったと思われるが、数が多いと無理である。「爾雅」釋親にその記載が無いから、早くに数字化されていた可能性もある。小生は、小篆を成立させた頃、この手の囚人的番号制度も定着したと考えるとよいかと。

始皇帝はこの辺りにご執心で、釋詁冒頭が<初・・・【始】>としたのは、ここらの風土を意味していると考えてもよいかも。要するに、天子は、皇嗣から云々されることなど真っ平ご免の独裁者であり、後継は数字で順に呼ぶべきと考えていたのは間違いないからだ。そこらは、殷の時代が十干名称の呼名だったから、それに則っただけとも言えるが。

従って、現代人が考える数字とは違って、由緒正しき美しい語彙。その感覚で眺める必要があろう。

ついでながら、<三>という数字は極めて重要視されていると言ってよいだろう。<一>に次いでということではないし、<二>などone of themでしかない。(經書を調べた結果ではないので、確実とは言いかねるものの。)
「古事記」冒頭の<三>神登場は、その古い観念を引き継いでいる可能性を感じる。
   
     

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