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■■■ 「古事記」解釈 [2021.6.20] ■■■
[170] インターナショナル視点での宗像3海神
「古事記」に於ける海人信仰を俯瞰的に順繰りに眺めていくと、漫然と3海神と考えては拙いことに気付かされることになる。
特に、宗像神と安曇3神を玄界灘の同類の海神とみなしてしまうと、せっかくの「古事記」の指摘を無視してしまうことになりかねないからだ。

伊都久三前大神とされているが、どう見ても他の3神のような3面とか3別称ではなく、性情が異なる3神を纏めたようにしか映らないからである。
  多紀理毘賣命(胸形之奥津宮)
  市寸嶋比賣命(胸形之中津宮)
  田寸津比賣命(胸形之邊津宮)

この3女神が有名になったため、倭の海人信仰は3神とされがち。確かに、表面的にはその通りだが、宗像は他は異なる構造と見るべきだろう。
他の3神はこういうことなので。
  山体神の降臨留地…奥⇒麓⇒里
  住吉型航路神の三相表現…上⇒満⇒下
  安曇連型の生業進化…潜水漁撈⇒浜塩等交易⇒河川農耕兼業
一方、宗像神の方は並列な3神(三柱神Triple Deity)と思われる。しかしながら、海人も多神信仰であるとはいえ、3神並列崇拝は考えにくかろう。📖最高3神信仰の文化的違い

そうなると、どうしても、宗像神を三相女神Triple Goddessと見なし、遠島⇒沖島⇒浜辺としたくなる。しかし、それでは玄海灘のこの地限定の神になってしまい、大海原から来たとか、海底の宮から到来とのイメージが生まれる必然性を欠いてしまう。逆に言えば、大陸から神が海峡横断して渡来したという観念が一番しっくり来る。これでは、広く信仰を集めるのは海神ではなく、大陸の神ということになってしまう。

・・・と言うことで、宗像神とは、本質的に性情が異なる3柱から構成されていると考えざるを得ない。
いわば、宗像の本家と2分家がそれぞれ異なる神を奉斎しており、3女神は姉妹的と見なす訳だ。各女神のテリトリーは違っていることになる。

そうだとすれば、この3神体制は、宇佐神宮の3神のように政治的に作られた可能性が高いことになる。国譲りで成立した出雲大社と同じように、玄界灘の海人勢力を服従させた結果生まれた信仰の場と考えることになる。
(宇佐神宮ご祭神は[1:主神]八幡大神/応神天皇+[2]比売大神/宗像三女神+[3]神功皇后だが、宗像三女神の祀られる位置は中央。)

宗像神の威力は極めて大きかった訳だが、それは海路ネットワークを持っていたからだろう。
しかし、出雲のように独自王朝を樹立した訳ではないから、是々非々でどのような国とも協力する体質だったのだろう。換言すれば、独自の女神の下で勝手に動き回っていたことになる。この様な勢力を服従させるのは容易なことではなかった筈だが、成功したのであろう。
その結果が宗像大社の創建ということになろう。

言い方を変えて考えてみよう。

一般論としては、食材カロリー計算上、漁撈国家は食生産基盤を欠くので成り立たないが、例外はある。九州の西海や唐津沖での漁撈なら、技術を持っていれば古代でも成り立つからだ。言うまでも無く定常的な鯨漁が可能な海域ということ。
一方、玄界灘を臨む地域では、鰯・鯖中心にならざるを得ない。つまい、西海と宗像大社の地とは距離も漁撈タイプもかなり異なっていると言ってよいだろう。もちろん、古くから、国も違っている訳で。
従って、両国の漁撈民からすれば、共通の海神を信仰する理由に極めて乏しいのである。
ところが、宗像神信仰は共通。ここだけに限らず、大社から遠い地域でもその信仰が続いている。このことは、宗像3神とは、バラバラの漁撈民勢力を束ねる必要性から生まれたと考えてもよいのではなかろうか。
海人の象徴である胸の×印入墨という神名なので、一般名に近いこともあり、宗像神という名称で信仰一元化を図った結果が宗像大社創建として結実したと見る訳だ。

そんな見方で、宗像神信仰の広がりを俯瞰的に眺めると、3神ではあるが、実態的には航法4派をまとめた構造になっていそう。但し、この4派はすべて陸地可視域航海ということになろう。それぞれに操船スキルや潮流判定方法は異なるし、頭に入れるべき海図は全く別モノ。
もちろん、海人としては、これ以外に陸地不可視の大洋航法者もいたが、それは宗像神信仰圏外と言うことになろう。(五島列島では、遣唐使時代は勿論、その遥か昔から、出立・到着地である。そのため、非宗像神信仰の地となる土壌を抱えていると言ってよかろう。

おそらく、文化的には異なる4流を纏めることができたのは、関門海峡周辺のバラバラだった島嶼民を統合支配することに成功したからだと思う。その上で、食糧不足から経済的自立は難しく交易立国以外にない対馬を従属化させれば、玄界灘の統治はそう難しくはない筈だからだ。

こんな風に考えるのである。・・・
【響灘島嶼(水深100m迄の大陸棚域)】…鯖・鰯の漁撈と栽培農業兼業
《角島》@豊浦豊北
《竹之子島》@下関
《蓋井島》@下関…筏石遺跡
《六連島》@下関…縄文期製塩遺跡
《彦島(海峡西口)》
《関門海峡(早鞆ノ瀬戸)》…南東隅
 (長門宗形神社)@下関武久
  [瀬戸海側]《満珠島・干珠島》…無人島
《藍島》《馬島》@小倉北
大島》宗像大社
 胸形之中津宮(御祭神:市寸嶋比賣命)
《地ノ島・鐘崎》…西端

❶【対馬海流 陸側北東流系】…越(翡翠)〜出雲〜沖ノ島〜対馬〜勒島(朝鮮)
《対馬》
 佐賀和多都見神社/佐賀宗形宮
   @北島東岸 峰佐賀(御祭神:豊玉姫命 彦火火出見尊)
 大増宗像神社
 (⛩和多都美神社@豊玉仁位和宮は阿曇系)
《宗像大社》
 胸形之奥津宮@沖ノ島(御祭神:多紀理毘賣命)
《出雲》
 此大國主~ 娶坐胸形奧津宮多紀理毘賣命
  生子阿遲鉏高日子根~
  次妹 高比賣命亦名下光比賣命
  此之阿遲鉏高日子根~者 今謂迦毛大御~者也

《伯耆》
 胷形神社@會見郡/米子宗像
《能登》
 奥津比盗_社@能登半島北部輪島沖 舳倉島(御祭神:田心姫神)…里宮別途
 意冨志麻神社/遠津姫三社
 @能登半島首部西岸(福野潟) 羽咋志賀大島(御祭神:奥津島姫命 辺津島姫命 市杵島姫命)

❷【対馬海峡横断系】
    …末盧國〜壱岐〜対馬〜勒島(朝鮮) :もともとの定期的交易ルート
    …宗像(筑紫)〜大島〜小呂島〜対馬[南〜北]〜勒島(朝鮮)
    【出雲〜沖ノ島〜[北]対馬】〜勒島(朝鮮)
勒島(朝鮮)》
《対馬》
 根緒神社@南島東岸
 奈伊島神社@南島東南岸
《壱岐》
 三島宗像神社@渡良三島(大島・長島・原島)
 石田田嶋神社@石田西触
《玄界灘孤島》
 七所神社@小呂島
《宗像大社》
 胸形之中津宮@大島(御祭神:市寸嶋比賣命)
 胸形之辺津宮(御祭神:田寸津比賣命)
末盧國
 田島神社@唐津呼子加部島…肥前国最古社 摂社:佐與姫神社

❸【北西部九州沿海】…追い込み鯨漁の浜民文化域からの広がり
《宗像大社》
 胸形之辺津宮(御祭神:田寸津比賣命)
《博多湾》
 (⛩名島神社)@香椎
 三所神社@博多湾唐泊崎
《末盧國(肥前松浦)》
 田島神社@唐津呼子加部島
 田平宗像神社@平戸田平里免
 淵神社@長崎
《西海》
 中浦宗像神社@西彼杵半島北 中浦南郷
《雲仙》
 宗像神社@千々石乙
 宗像神社@小浜富津
 宗像神社@南串山丙
《肥前》
 宗像神社@下松浦田平田原 伝鎌倉期創建
 宗方神社@諫早小野宗方
《五島列島》
 胸方神社@中通島新魚目浦桑
 巖立神社@福江島岐宿スゴモ(御祭神:田心姫神 湍津姫神 市杵島姫神)
         伝空海出国@明星院帰国時指導(鎮国寺) 実質江戸期創建

 柏神社@福江島三井楽柏宮山(御祭神:田心姫神 湍津姫神 市杵島姫神)宝永3年創建
 地ノ神嶋神社@小値賀島前方湾
   沖ノ神嶋神社@野崎島…704年分祀

【参考】 矢田浩:"北部九州の宗像神と関連神を祭る神社の解析―宗像神信仰の研究(2)― むなかた電子博物館紀要 8号(2:増刊) pp1, 2017年
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❶冒頭。クラゲのような"原始の海"的世界に神が顕れる。
  造化三神
  📖インターナショナル視点での原始の海
 その世界の名称は高天原。
 海に囲まれた島嶼社会に根ざした観念と言ってよいだろう。
 栄養豊富な海辺での水母大量発生のシーンが重なる。
 天竺なら さしずめ乳海に当たる。

❷神々の系譜が独神から対偶神に入り、
 神世の最後に登場するのが倭国の創造神。

  伊邪那岐命・伊邪那美命
  📖インターナショナル視点での神生み
 高天原の神々の意向で、矛で国造りをすることに。
 矛を入れて引き上げると、
 あたかも潮から塩ができるかの如く、
 日本列島起源の島が出来てしまう。
 島嶼居住の海人の伝承以外に考えられまい。

❸交わりの最初に生まれた子は蛭子。
 
葦船に入れ流し去った。海人の葬制なのだろう。
 しかし、子として認められていない。

 葦と言えば、別天神で"葦牙因萌騰之物"として
 唯一性情が示されるのが
  
宇摩志阿斯訶備比古遅神
  …いかにも河川デルタ域の神。
📖葦でなく阿斯と記載する理由
 そして"国生み[=嶋神生み]"で、
 日本列島の主要国土を生成する。
 📖インターナショナル視点での嶋生み
❹最初の海神は、神生みで登場。
 10柱第一グループの8番目。

  [海神]大綿津見神
  📖インターナショナル視点での海神
❺本格的な船は神生みの最後の方になってから登場。
  鳥之石楠船~/天鳥船
  📖インターナショナル視点での船神
 ここだけでなく、国譲りに再登場。
 派遣された建御雷神はあくまでも"副"。
 正は海を渡航する能力ある神。

❽その後、黄泉国から帰った伊邪那岐命は、
 穢れを払うために禊を。その最後に3貴子が誕生。
 天照大御神を絶賛し、高天原統治の詔。
 物実に使ってしまった筈の玉もレガリア的に。
 その一方、男神には、おざなり的に海原統治の詔。

  須佐之男命
  📖インターナショナル視点での海原統治
❻ところが、この3貴神誕生の直前に、海の3神2組が登場。
 海神名再登場だが、安曇連祖神である。

  底津綿津見神
  中津綿津見神
  上津綿津見神
  📖インターナショナル視点での安曇3海神
❼一組づつ、順次登場ではなく、ペアで3連続。
  底筒之男神
  中筒之男神
  上筒之男神
  📖インターナショナル視点での住吉3海神
 こちらの3男神は墨江之三前大神(住吉神)とされている。
❾さらに、時代が変わると、
 天照大御神と須佐之男命の誓約で
 3女神の伊都久三前大神(宗像神)が生まれる。
  多紀理毘賣命(胸形之奥津宮)
  市寸嶋比賣命(胸形之中津宮)
  田寸津比賣命(胸形之邊津宮)

❿天孫降臨後
  綿津見大神

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