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2009.10.26
 
 


昨今の政治状況を眺めて[オリンピック招致失敗]…

オリンピック招致失敗への批判が多かったのには驚いた。
 オリンピック招致失敗でしばらく騒がしかったが、静かになったので一言。

 失敗を見てから、理不尽な批判を浴びせかけるだけの人が多かった。典型的な主張は、負けるのがわかっているのに、お金の無駄遣いはけしからぬというもの。開催地はどう見ても米州で、アジアに来る可能性は低いのにという調子で、結果論の体裁としても寸たらずなものも少なくなかった。

 都民でないとわからないかも知れぬが、石原都知事は、オリンピック招致を全面に掲げて選挙に臨んだのである。政治家なのに、実に、つまらぬことを選挙スローガンにすると感じたから、よく覚えている。
 そして、圧倒的多数で選出された。精一杯オリンピック招致活動に力を注ぐのは当たり前である。お金のかけ過ぎか否かはわからぬが、馬鹿騒ぎをした話も聞かないから、批判は筋違いではないか。
 招致に失敗して残念でしたねとしか言いようがあるまい。

 もう一つの批判パターンは、それほど多くはないが、訴求力が弱いという論調。自分に任せてくれれば、勝てたと言いたいのでもなさそうだが。ただ、後述するが、このなかには、意味ある批判もあった。

都民の考え方が変わったことを無視した批判はおかしい。
 これだけでは、なんだ、つまらぬ話と感じるかな。もう少し、我慢しておつきあい下され。

 小生は、招致失敗の最大の原因は都民の支持をとりつけられなかった点と見ている。招致をスローガンにして、選挙で勝ったため、都民はオリンピック開催に諸手をあげて賛成していると考えてしまったのかも。
 ともあれ、候補地比較のための支持率調査では、低支持率との結果。にもかかわらず、自分達の調査結果では数字が異なると発言したようで、実に見苦しかった。
 素直に読めば、選挙で大勝し、招致運動盛り上げに手を抜いた結果にすぎまい。調査結果に驚いてから動いても後の祭り。それだけのこと。

 誤解なきよう、おことわりしておくが、小生は都民だが、都知事選の段階からオリンピック招致に興味などない。他にやるべきことが山積していると考えるからだ。
 それに、築地から勝鬨橋を渡ってすぐの場所を使うなどもっての他。景気浮揚に向いた活用を産業界に任せるべきである。こんな一等地に、たいして使われない公的スポーツ施設を持ってくるなど、とんでもない話だと思う。
 ただ、そう考える人は、おそらく少数派。・・・ここが肝要

 石原都知事の主張の通り、誘致賛成者が多数派だったのは間違いない。しかし、景気好転の実感がさっぱり湧かず、開催ムードが急速に萎んだのだと思われる。日本経済再興のうねりを感じていれば、多くの人は、知事に声援を送ったに違いない。
 意識を変えたのは、地方経済の惨憺たる状況が伝わってきたことが大きそうだ。好調なのは東京と一部だということは実感そのもの。そんな状態で、東京がオリンピックに浪費していてよいのか、不安にならない人はいないのではないか。と言うか、都民一人当たり数万円かかる開催費用が気になったということでもあろう。税金で食べている地方なら、地元業界(スポーツ業界、メディア業界、建築土木業界、観光業界)が潤い、空いている土地が使えるということで、手放しで喜ぶかも知れぬが、東京ではそうは運ばない。
 稼働率が悪くメインテナンス費用ばかりかかる施設を抱え、財政的に立往生する大阪の二の舞イメージが浮かんでもおかしくないということ。
 本気で突っ走られたらこまるなと考え直したのだと思う。その点では、コンパクト開催方針はそれなりにうけた筈である。

そもそも論を考えさせる批判が欲しかった。
 つまらぬ批判が目だったのは、こうした感覚の変化に合わせたということでもある。不景気なのに、余計なことに金を使うなムードに迎合して、政治家を批判していれば無難だし。
 そんな批判の渦のなかで、それなりの意味がありそうなものもあった。プリゼンテーションの訴求力不足を主張した意見である。方法論の巧拙の視点で切り込んだだけだが、それが本質をえぐりだすことにつながっている。

 報道のトーンからすると、知事は、敗戦の弁で、最強のプリゼンテーションと豪語したらしい。アクの強さが人気の素だから、この言葉をそのまま受け取る訳にはいかないが、イデオロギー色が強い政治家特有の態度と言ってよいだろう。
 これに対して、オリンピックと環境が結びつく論理の脆弱さを突くのは秀逸といえよう。・・・「環境意識昂揚のためにオリンピックを開催しましょう」と聞いて違和感を感じない人がいる訳がないからだ。

 普通に考えれば、イベントは派手なほど嬉しいし、皆、のってくる。だからこそ、オリンピックは国威発揚の場として利用されてきた。現実は国と個人のメダル獲得競争の場でしかない。
  → 「オリンピックの幕引き 」 (2004年9月1日)
 しかし、それを肯定的にとらえ、平和の祭典と見なしてきた。
 誰でもわかっているそんな流れのなかで、オリンピックが環境に寄与すると言われても、唐突な印象は拭えまい。政治や外交のための機関ではなく、スポーツの祭典を追求しているのだから。まさか、聖火をランタンにでもするつもりではないだろうし。(色々と施設を用意してしまった大阪なら、“もったいない”訴求も可能だったかも知れぬが。)
 シカゴの、オバマ大統領のホームタウンという宣伝とレベルはそう違わないと言うと言いすぎかな。

批判すべき対象は、オリンピック招致効果を宣伝する政治体質ではないか。
 ここまで書くと、何故、上記の批判が意味を持つのか、おわかりになるのではないか。

 要するに、日本におけるオリンピック招致とは、環境運動とは直接関係はなく、日本の人々に夢を与えようという政策であることをはっきりさせている訳だ。
 そんな時代かね、と語っているようなもの。

 かつての東京オリンピックなら、そのような意義があった。先進国への仲間入りを果たす一歩であり、大いに盛り上がった。
 しかし、同じことを期待する訳にいくまい。人々が感じているのは閉塞感だからだ。そんななかで、オリンピック招致を進めるということは、国民一丸となって「夢」を描けばなんとかなると言うようなもの。オリンピックを皆の力で成功させることができるなら、その精神力で社会を変えることができると言いたいのだろう。

 問題は単純。・・・そんな精神論政治を是認するのかということ。

 閉塞感と言うが、こうなることは、昔からわかっていた。にもかかわらず取り組めなかったのは、官僚政治のせいではなかろう。政治家が知らん顔を決め込もうという姿勢に、官僚が合わせただけの話だと思う。つぎはぎ策でかまわないから、現状維持できるように考えろという要求に応えれば、変革できる筈がない。
 並べてみればすぐわかる。誰もが前から知っていたのである。
  ・海外から人を入れないなら、働く人の数は確実に減っていく。
    -大きな割合を占める団塊世代の退職が始まる。
    -出生率は低下一途だから、若者人口は着実に減っていく。
    -母親の労働参加環境整備策に対しては消極的姿勢を貫いてきた。
  ・構造改革を避ければ、生産性は低下し、成長力も失われる。
    -マクロで見れば税金で食べる地域だらけになっている。
    -国内産業は非効率化の道を進む一方である。
    -債務超過の上、再生見込みゼロの企業の延命を歓迎してきた。
    -既存産業安定のため、新産業勃興にブレーキをかけ続けている。
    -規制で食べている企業は無駄な出費で低収益に見せている。
    -収益性が低いので民間の国内投資は減少一途である。
  ・軍備を増強したところで、安全保障体制は、脆弱なまま。
    -米国の都合で捨石にされる可能性は否定できない。
    -重要な資源を押さえていないので、断たれれば産業は崩壊する。
    -世界の農産物の需給バランスが狂うと、食糧危機に直面する。
  ・グローバル市場で、中韓のような国家社会主義的企業が優位に立つ可能性が強い。
    -自由貿易圏拡大を抑える方針をとり続けてきた。
    -中国の力を利用して国際展開を強化する積極政策は避けてきた。
    -補助の眼目は収益力が低い産業の延命である。
    -企業年金・リースといった簿外債務の隠蔽を推奨してきた。
    -税金・雇用・インフラのすべてでコスト負担は重い。
    -大企業がリスクをとりにくい仕組みにしている。
  ・国も地方も、財政は、実質的に破綻状態である。
    -破綻の回避には、とりあえずの大増税しかありえないが、先延ばし。
    -貯蓄率低下で国債・地方債の消化は難しくなる。
    -土木・建築工事のツケ(借金返済と大規模補修費用の発生)が来るが払えなくなる。
    -老齢者への福祉・厚生費用が予算の大半を占めるようになる。

 どこから、どのように手をつけるべきかわからず、威勢のよい言辞を振りまいたり、議論を横道にひきこんだりして、知らん顔を決めこんできたのが日本の政治である。オリンピック招致とは、その姿勢を助けるものにすぎないのではないのか。
 地方政治だから、上記のような話をされても、なんの対応もできないという訳ではなかろう。


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