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2012.1.26 ついつい、日本人の科学観について考えてしまった
小生は、Googleニュースを見るのが日課。
その画面デザインだが、一覧表の右側に「ピックアップ」と称する得体の知れぬ記事リンクが表示されている。デザインを変更する気がないので、興味がなくても、なにげにその見出しが目に入ってしまう。
スポーツ紙の大衆ページのようなものらしいが、キャッチーな見出しがあったりして、どうせくだらないと思いつつ、つい読んだりするもの。

前置きが長くなったが、実は、「天地創造かビッグバンか?アメリカの結果に他の先進国「…おい!」」という見出しがトップにあがっていた。
面白サイトだから、よそうと思ったが、先日、素粒子科学について書いたので一寸気になり閲覧。

実に、非科学的な内容だった。
調査結果の話ではなく、アンケート結果の引用の仕方。執筆者は、自分は科学的に物事を見ていると考えていそうだが、実は非科学的そのもの。しかし、それに気付かない。そんなところが日本人の平均像という気がする。

と言うことで、以下、この面白記事を題材として。・・・

質問は、「Who/What created the world, God or Big Ban?」というもの。ミカンとリンゴを比較するような質問で、全く次元が違う話を一緒にしているのだが、そう考えない人が多いようだ。確かに、宗教のドグマと科学的理論ではあるが、この質問設定自体が非科学的発想そのものなのである。
なにかが最初に存在しているかという話と、それがどのように変化したのかという話は、対象領域が違うからである。前者は存在論であり、まあ哲学の領域と言えそう。現時点、科学はこれに何も答えることができない状態である。一方、後者は、宇宙進化論と呼ぶべきもの。宇宙発展のプロセスを説明している理屈にすぎない。
ついでながら、ビッグバンについては、肯定する科学者が多いというだけにすぎず、これが真実かどうかはわからない。こうした見方こそが科学的態度なのである。要するに、現時点では一番納得できる理論ということ。反証が見つかれば否定されることになる。だからこそ科学なのだ。
非科学的思考とは、反証できない理屈を捏ね回すこと。
日本人にはこの辺りの論理がよくわからない人が多い。例えば、 「神による天地創造」を信じている科学者が、宇宙は大爆発して膨張しているとの理論を認めていることはありうる。ダーウィンの適者生存型進化論が成り立つと考えていても矛盾がある訳ではないのである。

このように説明しても、理解できない人は多い。日本の教育の欠陥かも。皆が正しいと言うものは真実と見なす体質ができあがっているのである。それは科学的思考と真逆なのだが。
この面白記事でも、「進化論を支持しない教師は日本ではめったにいない」と書いている。しかし、日本の場合は、それが科学的思考が広まっている証拠にはならない。この点には注意しておく必要がある。
それは、生命の起源話と進化論の違いがわかっていないからである。
前者は、最初のDNAはどこからか来たのか、それとも地球上のどこかで合成されたかという話。定説どころか、まともな仮説も提起されていないと言ってよいのでは。深海熱水でアミノ酸は合成できるが、それが生命に至る理屈には繋がらないのである。
従って、「誰か」が「命」を、外から地球に与えたとの説も、科学的仮説の一つと見なさざるをえない。その「誰か」を宗教上の「神」と考えるのは科学では無いというだけ。
未だに、タネなくしてはDNA合成ができない状況なのだ。従って、この仮説への反証は今のところ無いと言えよう。
さて、後者の進化論だが、これは、生命の起源たるDNAがいかに複雑化していったかを説明する理屈。DNAの存在はあくまでも前提条件。こちらは、極めてわかり易い。従って、大所では皆納得している。ただ、おかしなところはある。どうして、中間的種が存在しないのか。これに対する説得力ある理屈は作られていない。つまり、進化論も実は今一歩なのである。

ついでながら、アメリカ回答の異常性についてもコメントしておこうか。
ポイントは、総投票数が約42,000のうち31,000も占めている点。よくもまあ、こんなつまらぬ質問に、これほど多くの人が参加するものである。それは確かに特異。
従って、面白がって「神」に投票した可能性も考えられるし、人気投票のようなもので、どうしても「神」に勝たせたいと動いた人もいたかも。まあ、そんなところかも、ということ。
もっとも、日本人もなんと1,000人が参加している。投票行動がお好きなようだ。

そういえば、福島原発についての日本人の発言もトンデモ論が多かった。
と言うか、日本人は原発について余りに無知なのであきれた。科学的な常識を持ち合わせないと言ってもよいかも。お陰で、嘘八百のアジテーターがインターネットの発言コーナーを闊歩できたのである。

忘れないうちにこれも書いておこうか。

 ・チェルノブイリは小型だが、炉を丈夫なもので覆う設計にはなっていない。スリーマイルはご存知のように、しっかりした格納容器がある。従って、常識的な対応さえしていれば、チェルノブイリのような爆裂状態に陥ることなど有り得ない。小型爆弾で壊れるようなものではないのである。ただ、稼動炉が3基もあり、冷却プールに使用済み燃料棒が大量に保管されているから、冷却が遅れたりすればチェルノブイリ以上の大規模汚染が発生し続けるという可能性があるにすぎない。首相が科学的発想で動いていればなんということのない事故ですんだとも言えそう。
米国は最初から科学的視点で眺めており、常識的な対策をとったが、日本はなにがなんだか右往左往状態で、メルトダウンしていないと嘘のつき通し。海外紙は、メルトダウンして、底で一時ブクブクしたりするかもといったところ。構造上、燃料は釜の底のシールを抜けるが、それだけのこと。常識的な予想と言えよう。日本とは対照的。

 ・おそらく、世界中が仰天したのは、街頭デモ鎮圧用放水車の派遣シーンと、ヘリコプターによるバケツの水の散布映像。誰が考えたところで、ほとんど意味がない行動。理工系大学を卒業している人が指示したのだから呆れかえる。科学的思考というより、幼児的発想としか言いようがなかろう。もしかすると、東大安田講堂の水圧鎮圧作戦のアナロジーかな。

 ・冷却できなければ、燃料棒がメルトダウンするのは当たり前。もっとも、それを公言した審議官は菅政権によって外されたが。まともに科学的常識で語ってはならない社会なのである。
なにせ、メルトダウンすると、原爆のようになると言うトンデモ話を流す輩がいる位なのだから手におえない。臨界の話と、核爆発の差もわからない訳である。流石にたまげた。そんな発言を臆面もなくする人を批判してもどうにもならない。

それにしても、日本の知のレベルの低さには恐れ入る。

(当サイト過去記載) 2012.1.16 量子力学関連のニュースを読んで

2012.1.25 「限界集落はどこも消滅寸前」は嘘であるソウダ
「限界集落はどこも消滅寸前」は嘘である。・・・コレ、2012年1月に刊行された、「限界集落の真実: 過疎の村は消えるか?」 (山下祐介著、ちくま新書)の宣伝文句。
弱者の塊に見える老人集落だが、土着の意志は強固そのもの。出て行った家族も時々帰って来たりして、消滅の方向にはほど遠いとのご指摘。

ソリャソウダ。
まともな産業が無い地域だろうが、地方には、引き続き徹底的に税金が投入されており、そこの住民がのんびり食べていける政策が未だに続いているのだから。なにせ、農業地帯では、世帯売り上げが年数十万円で悠々自適の生活を送れる人が大勢いるのだから。ただ、そうした社会の仕組みから外されると悲惨。赤貧に陥るか、当てがなくても都会にでるかの選択に迫られるからだ。地方は所属組織とコネの有無で生活水準が決まってしまう格差社会そのもの。税金ぶる下がりだけの生産性低下路線が極限まで進んでいると見て間違いない。
こんなことをしていて、一般の農業集落が成り立つ訳がないから、そろそろ、合理的な施策が打たれる潮時と見ていたのだが、現実は真逆。社会の破滅に突き進む道を選択したのである。民度が高い人が多い社会はこうなるという良き見本。世界大戦突入を拍手喝采した伝統的思考パターンは今も健在と言えよう。

ともあれ、この手のバラマキ政策は一律公平型にせざるを得ない。限界集落候補地域でも、安穏として暮らせる支援が行われることになる。そんな状態で、わざわざ集落から出て行き、苦労したい人が出るものかネ。
しかも、そんな流れを応援する人だらけ。そりゃそうである。地方への税金バラマキ政策を打ち続けるための学問が花盛りなのだから。もちろん、そこにも巨額な税金が投入されているからだ。どのような主張や宣伝をすれば、税金バラマキ路線をさらに強化できるか考えている人が大勢存在する訳である。これで素晴らしい成果があがらなかったらどうかしている。そうそう、そういう仕事をする人は尊敬されるし、格好イイと言われたりするもの。
世界大戦突入前夜も同じような調子だったらしい。言うまでもないが、それを揶揄したりすれば大変な目に合わされたのだ。それは今も変わらない。

ポイントは、日本の地方の大半は、自立経済ではないという点。
なかには、自称自給自足可能と主張する地域もあるが、それは日々の物々交換生活しか頭にないため、誤解しているだけ。正確に言えば、そんな幻想に浸たりたいから、つい口から出てしまうのである。単なる税金食いつぶし。発展性はゼロだが、それがお好きな人にとっては、お得な生活が送れる。
自称農業中心の経済地域も、一部を除けば、ほぼ同じこと。他の産業が、農業のために存在するから、そんな思い込みをしがちだが、そんな非農業収入のモトを辿ればすべて税金。そんな税金食い潰しの産業が支援するから、生産性が低い農業を続けることができる訳だ。

ご存知のとおり、こうしたバラマキをさらに続けようというのが、現在の日本の政治。
農村型「中」バラマキ政権から都市型「大」バラマキ政権へと代われば、すぐに問題がはっきりしてくるので、新たな政治状況が生まれると期待していたが、逆だった。
1月の自民党大会は圧巻。来賓挨拶に野次がとんだという。もちろん、TPP反対ということで。都市型政党に脱皮して、国全体の生産性向上に図る方向に進む姿勢を打ち出すと思いきや、昔からの土着政党に戻すつもりのようだ。

さらに大笑いなのは、自称小さな政府派ミニ政党の動き。社会保障費用は削らない方針らしい。それこそがバラマキの最たるもの。これをいかにして削るかが問われており、そのやり方を議論する必要があるのに、それは棚上げするようだ。
バラマキ続行という有権者の多数意志には逆らえないのである。

2012.1.24 日本茶の淹れ方を変えてみた
先日、お茶屋さんのご案内で闘茶会に参加。
小生の理解では、茶道発祥以前に主流だった茶飲み文化。そんな文化に興味が湧いたから参加した訳ではなく、美味しく飲むにはどうするか知りたかったから。それに、自分の味覚と臭覚は、それこそ違いがわかる力があるのか、という点も知りたいところだし。

紅茶なら、ダージリンとセイロンの違いは誰でもわかろう。しかし、狭山、掛川、八女と言っても説明を聞いたところで、残念ながらその違いはよくわからない。従って、一度まともに飲み比べてみたいと思っていたのである。
それだけではないかも。この正月に人吉産の玉緑茶を頂戴し、自宅でいい加減に淹れてみたら旨みが矢鱈に濃かっので驚いたからだ。産地で相当違いそうだと、今更ながら、気付かされた次第。

そうそう、闘茶の中味だが、産地が違う同一価格の煎茶である。品種は主流のヤブキタ。

結果。
案の定、小生も含めた参加者全員、正答率低し。お陰で、ずいぶん勉強になった。
ちなみに、自分の好みとしては、本山ということがわかった。その辺りのテーストに慣れているにすぎないと思われる。

わかった点。
・産地の違いだけで、味は相当に違う。
 凡庸に感じるものと、尖ったものがある。
 香りと色の違いもありそう。
・慣れている手のお茶が一番バランスがよいと感じるのではないか。
 それを平凡と感じたり、優れていると評価することになる。
・全く同じ淹れ方は簡単なようで結構難しい。
 ちょっとしたことで、茶葉の蒸らし方に相当な違いが出てしまう。
 注ぎ方で茶碗毎の差が生まれかねない。
・味わいは、茶以外の状況でもかなり左右される。
 最初に味わう茶の印象はあてにはならない。
 お菓子の味によって、その後で飲む茶の良し悪しが左右されそう。
・茶の風味の違いは誰でもわかるが、それを表現できる語彙を欠く。
 茶葉の特徴を概念的に把握するのは難しい。
 飲み比べて、同じ茶葉を認識するには訓練が必要そう。

そして得られて教訓は単純明快。・・・
茶の淹れ方と注ぎ方は、自分の頭でその都度考え、臨機応変で行くべし。

そして、以下の淹れ方に変えた。
言うまでもないが、専門家に教わった訳ではない。素人論なのでそのつもりで。

(1) 茶葉は、茶筒から、所定の分量の茶葉をを取る際に、できる限り欠片や粉が入らないように注意する。葉の形状のバラツキが見られる商品は駄目。そんなものなら、粉茶や茎茶の方がまし。

(2) 一番重要なのは、多分、最初の茶葉の蒸らし。静かに、熱すぎない湯中で、茶葉をゆっくりとした速度で静かに広げないと、十分に美味しさを味わうことができない。
よく巻いた細い茶なら低温長時間が望ましく、成分が抽出し易そうな茶葉なら多少高温で短時間にする。
従って、茶葉は薄く広げるように急須に入れる。急須の底は扁平で面積が広いほどよい。絶対に、塊で入れない。この観点で、急須の容量が決まる。一般に茶碗2杯強が限度だ。茶漉し網付き急須などトンデモない話。それは、鮨屋のアガリ用。
急須は暖める必要なしと考えていたが、そんなことはない。ただ、水分が茶葉についてしまわないよう、湯を注ぐ直前に茶葉を入れる必要がある。
湯をすべて注ぐのは、素人は避けた方がよい。最初に、茶葉に被る程度の湯量を、葉の全体を湿らすように注ぎ、すぐ蓋を閉じる。20秒程度たつと葉が広がるので、葉が湯に舞わないように。静かに残りの湯すべてを注ぐ。ガラスの急須は冷え易いので今一歩だが、葉が開く様子が見えるので、注ぐべきタイミングがわかり便利。情緒を欠く道具だが。

(3) 妥当な抽出時間はその都度勘で決めるのがよい。上記のやり方なら、葉の広がる速さがわかるから、それに応じて設定すればよい。80秒から120秒程度である。もちろん、購入した茶葉指定時間があるならそれを守ることになるが、その数字が当てにならない場合も。尚、深蒸茶表示品は他とは違い抽出が速いので要注意。

(4) じっくりと、しかし急いで茶碗に注ぐ。ここで手抜きすると、すべてが台無し。ともかく、一気に茶を注ぐべきではない。例えば、2杯分なら、5回x2茶碗程度。じっくり愉しみたいなら、1回に注ぐ量は少ないほどよさそう。ただ、この場合、1回毎に、注ぐ前に急須を振って、湯を踊らすこと。そして、文字通り、最後の一滴まで出し切る。振らし方が悪いと、急須の口に茶葉が溜まり、これができなくなる。そうなると、一番美味しい部分が得られない。

まあ、以上、薀蓄というほどのものではない。教訓をもとに理屈を考え、今までのやり方を少し変えてみたにすぎない。

(当サイト、過去記載) 「日本茶の淹れ方(20110203)」

2012.1.23 米国大統領選に関するニュースの読み方
SC州での共和党候補予備選挙は、開けてみれば、ギングリッジ候補は2位に大差の40.4%を獲得。直前まで、日本の報道は猛追というものだったがハズレ。その前は、ロムニー1位を示唆。従って、直前の討論会での態度が勝敗を左右したとの話になっている。
1月17日のCNN調査では、ロムニー候補33%、ギングリッジ候補23%だったから、そりゃそうだろうと言えるのだが、そんな見方でよいのだろうか。
1月8日の別の調査では、両者は互角。ギングリッジ候補1位。もともとがそういう政治状況の州である。問題は、その感覚を、日本の新聞を読んでいて感じることができたか。

と言うことで、米国大統領選挙に関する、日本の新聞記事をウエブで眺めていて、感じた点をあげてみよう。

 ・ステレオタイプな解説が僅かに含まれているものが主流。
 ・記載されているデータは一部抜粋でしかない。
  どうしてその点のみに注目しているのかはわからない。
  知りたい情報は記載されていないことが多い。
 ・4次情報(ソースは日本)と疑わざるを得ない記事がある。
 ・一般に、情報ソースは曖昧。
 ・取材ベースの記事もありそうだが、見出しからは判別できない。

要するに、まともなものに出くわす確率が低いのである。知りたくなって、色々な記事を見ても徒労に終わる可能性が高い。そんなことをしていると、頭が鈍るのではと思ったり。

だが、識者や署名記事なら良いかというと、そうでもなさそう。政局報道がえらく喜ばれる社会風土に合わせて書かれているからだ。お陰で、読んでも納得感はイマイチ。なかには、えらく古そうな認識の評論も。

そこで、小生がとったのは、最初に、ざっと生データを見る手立て。POLITICO・2012LIVE(www.politico.com/2012-election/presidential-polls/)が一番。

例えば、前述の1月8日のNC州の調査では、ギングリッジ候補もロムニー候補も現職に勝てない。サントラム候補だけが希望あり。
なるほど、そういうことかという感じ。
ちなみに、CNNの1月17日のフロリダ州調査ではロムニー候補が47%で2位は2割に届かず。そして、現職大統領に勝てるとの見込み。

こうしたデータを見た上で、論説を読むと状況がわかってくる。もちろん、POLITICOとWPだ。これらの抜粋訳でもあると、さっと目を通すことができて有り難いのだが。
WSJやNYT等にも面白い指摘が掲載されていそうだが、やはり餅は餅屋。

ところで、当サイトでの過去記載を思い出してしまった。(2011年11月29日「ズブの素人の本命予測はGingrich」)
その論旨で読むとどうなるか。・・・

SC州で勝利を収めると共和党候補者の座を射止めるというのが経験則。ここは共和党では結節点なのである。ここで勝利すれば、原理主義的なプロテスタントとクリスチャンの票をまとめることができることが誇示できるということ。これを切欠として、以後、全国で、宗教ベースの草の根献金運動を始めることができる訳だ。素人が見ても、それこそがレーガンやブッシュの勝利の秘訣。
はたして、今回はどうなるか。

小生は、NH州で支持が3割を越えたことが、ロムニー候補のSC州での負け戦に繋がったと見ている。その数値は、宗教的亜流の候補が宗教の壁を乗り越えたことを意味するからだ。これに、宗教勢力が強烈な危機感を抱かない筈はない。反モルモン教徒候補者の一本化しか手はなかろう。それだけのこと。当たり前だが、建前上、そんなことを表立って言う人は滅多にいまい。

2012.1.21 日本の新聞記事の不可思議さ
とあるブログに科学系新刊書籍の表が毎日出されている。他にもあるのだろうが、小生にとっては、チェックが習い性になっている。
ただ、ブロガー氏の主たる関心事は日々のニュースとご自身の生活上のトピックスだと思われる。当然ながら、日記のタイトルは、そのなかから気になったことを抽出したもの。
例えば、「2012.1.20 雪 人類は4万年前から遠洋で釣りをしていた」という具合。そう、東京は初雪。寒い。

しかし、その後の見出しに驚いたのである。
前に同じものを見た覚えがあるから。
調べてみると、図星。・・・「2011.11.25 4万2000年前の釣り針」。

ついでながら、2ヶ月前、このタイトルを見た時、どうしたか。
小生は、この手のニュースの場合、できる限りブログ指定のリンク先は読まない。執筆者が誰かもわからない手のものは御免蒙りたいのである。理屈ではなく、体験から。
従って、海外のニュース速報で該当しそうなものを探す。えらく面倒だが、致し方なし。

何を見たのか忘れたが、多分、Natureの2011年11月24日の記事。
"Archaeologists land world's oldest fish hook  First deep-sea fish supper dated to 42,000 years ago."である。ここでは、東ティモールのJerimalai遺跡で、4万2千年前の鮪の骨が見つかったとされている。もちろん釣り針も。鮪は外洋の魚だから、遠洋漁業をしていたことになる訳だ。
正直に言えば、この翻訳記事があれば、それが一番。はっきり言えば、これを抜粋したような日本語記事は読みたくないのである。

さて、それから約2ヶ月後に同じようなニュースが流された訳である。
今回は、共同通信社発で、多くの新聞が報道している。すべての新聞記事を見た訳ではないからなんとも言えぬが、新しく伝えたいことは一体何なのだろうか。

日本のメディアは不可思議そのもの。

(記事)
「人類、4万年前から釣り? 東ティモールで釣り針発見」 朝日新聞 2011年11月25日
「人類、4万年前から釣りか 東ティモール遺跡で東海大など調査 」 【ジャカルタ=共同】日本経済新聞 2012/1/20

2012.1.20 富士フィルムが話題に
オリンパスの醜聞報道はようやく下火に。まあ、とてつもなく儲かりそうな事業がありながらいつまでも借金だらけで、オカシナ企業と感じない人は少なくなかった筈。と言っても、経営実態が表にでることなどあり得まいというのが常識的な見方だったのでは。まあ、内部告発から始まったのでよかったと言えそう。

そもそも胃癌だらけの日本で、胃カメラ事業の基盤を作って世界に雄飛した訳である。医者の世界でのビジネスだから、一筋縄でいく訳もなく、純技術だけで事業の大発展ということはありえそうにないビジネスである。厄介な問題に出くわしても、それをなんとか克服してきたに違いないのである。だが、当事者以外に、そんなビジネス実態が知れることなどあり得まい。そんな文化を引きずっていそうだとは、口にはださなくても、皆考えていたことでは。

従って、競争力が持続できそうなら、どうせ実態はわからないのだから、余計な詮索をよそうというのが、外部の人達の一般的な見方だったとはいえまいか。そうした慣性力は強く、この先もそうそう簡単に変わるものでもないかも。そうなると、日本の企業文化への批判が強まる一方かも知れぬ。

そう考えていたら、正反対の流れが生まれたようだ。
経営に優れている日本企業もあるじゃないか、という指摘。と言えばご想像がつくと思うが、富士フィルムである。ご存知のように商品の宣伝は派手だが、ビジネスに直接関係無い分野ではできる限り目立たぬように動いていると言われ続けてきた会社だ。プロのインベスター好みの地味な企業とでも言ったらよいかも。それが一躍花形扱い化。本来なら、もっと早くに注目を浴びてしかるべきだったが。

そう、そうなったのは、コダックがついにチャプター11に突入したせい。両雄の状況は、余りに対照的。こうなると、メディアもとりあげざるを得ない。
ただ、色々読んでいると、なんとなく違和感を感じる記述に出会ったりするもの。
それがなんとなく気になる。ちょっと書いておくか。

富士フィルムで特筆すべき点はやはり、組織的に緊張感が満ち溢れている点だろう。世界に冠たる巨大企業との競争に負けないように日々頭を使って考えていたに違いなかろうし、一昔前から写真フィルムはそのうちなくなるとされていたから、代替領域への参入は至上命題だった。その新規事業にしても、とりあえず唾をつけるとか、それなりにといった生ぬるい姿勢ではなかった。すべて必死に事業に育てあげたのである。磁気テープしかり、磁気ディスクしかり、光学ディスクしかり、である。流石に、フラッシュメモリまでは手を出さなかったようだが。しかも、デジタルカメラ市場でも健闘しているのだ。パナソニック、ソニーと並ぶ地位を確保していると言うのだから、その底力恐るべし。安易なOEM調達に頼りすぎて、結局のところ力を失っててしまったコダックとは正反対に映る。
そうそう、オリンパスのデジカメ事業だが、赤字だ。この事業は企業アイデンティティであり、広告塔の役割も果たしているから、売却することはなく存続とされていたが、しばらくゴタゴタが続く訳で、はたしてどうなるのだろうか。外野から見れば、医療分野に積極的に踏み出している富士フィルムによる梃入れが一番無難な選択と言いたくなるところだが。

もっとも、インベスターからみれば、富士フィルムの企業価値という点では、目立つのはなんといっても富士ゼロックス。親会社として75%の株を所有しており、これだけでも十分魅力的である。と言っても、よく知られているように、口出さずのスピンアロングの経営だ。立派なもの。
もっとも、そんな姿勢も歴史を考えると当然か。富士フィルム自身がもともと大日本セルロイド(現:ダイセル)のスピンオフなのだから。スピンインはナシで出発したからこそ、頑張り通すことができたとの教訓がありそう。
そのパートナーのゼロックスだが、コダックの城下町ロチェスター発祥のベンチャー。そこは大学を中心とした光学技術のメッカだったのである。数々の日本企業がお世話になった地である。

ところで、このフィルム材料のセルロイドだが、ニトロセルロースと樟脳から作られる。その樟脳は楠から抽出した物質で、日本と台湾の特産品だった。そこから膨大な利益が生まれたのである。当時の財閥は、それを原資にして、様々な産業分野に進出した訳だ。言うまでもなく、そのなかには、今も活躍している大企業が数多く含まれている。日本企業の場合、これがことのほか重要。長い年月にわたって、社員が連綿と繋がっているから、単なる年表表記以上の意味があるからだ。つまり、それぞれ、独自の企業文化を育んできたのである。その文化を生かせるか否かは、一重に経営幹部の肩にかかっており、しっかりとした方向付けができて、組織に緊張感が漲れば、一丸となって動くことで知恵が生まれ、世界に冠たる企業になれるという訳だ。言葉は簡単だが、実行は難しい。アートの世界に近かろう。
ただ、日本企業には、企業文化を定着させやすい風土があるのは確か。その気になりさえすれば、人材を揃えているのだから、飛躍のチャンスはいくらでもあるということ。

(参照)
「富士フイルム、もはやフィルム・メーカーではない=古森社長」 WSJ日本語 2012年 1月 20日
"Fujifilm Chose to Change Focus CEO Says Firm, Kodak Saw Digital Age Coming, 'The question was, what to do about it.'" WSJ JANUARY 20. 2012
"Kodak pays for missing digital moment" FT January 19, 2012
"Could bankruptcy filing spell the end for Kodak, photo innovator overtaken by new technology?" Washington Post "Kodak Files for Bankruptcy as Digital Era Spells End to Film" Bloomberg Jan 20, 2012
"Kodak Bankruptcy May Shed Photography, Bet on Digital Printing" Businessweek January 20, 2012
"The last Kodak moment? Kodak is at death’s door; Fujifilm, its old rival, is thriving. Why? " The Economist Jan 14th 2012

2012.1.20 千丈之堤以螻蟻之穴潰−韓非子
「生き埋めにするぞ」との拷問言辞で脅迫されたと、中国で一党独裁反対活動を続けている作家がワシントンでの記者会見で語った。
言うまでもないが、ノーベル賞受賞にともなう国内反体制派取締りの頃の話が暴露されただけ。

日本の新聞だけ読んでいると、ふーん、という感じ。
しかし、海外紙を眺め続けていると、小生には、地殻変動の始まりを告げるものに映る。

別に、「拷問」の脅しに驚いた訳ではないし、人権侵害という点で問題視している訳でもない。そんなものは中国の歴史では日常茶飯事に近いからだ。まさに血で血を洗うが如き革命史そのもの。
そのイメージは、日本人の一般感覚から見れば凄惨そのもの。しかし、中国ではそうとも言えまい。
そこが気になるのだ。

2006年、中国で流れた「大明帝国 朱元璋」というテレビドラマなど、その体質をズバリ描ききったものかも知れぬ。元を滅ぼし、漢民族王朝明を樹立した、貧農出身の洪武帝の物語。驚かされるのは、建国後の、陰湿で徹底した粛清話にも力を入れている点。
コレ、NHKの大河ドラマ模倣版と呼ばれているが、余りに違う。ソープオペラさながらの女性モノや、制度のなかでもがく男の姿を描くような情緒的な作品とはおよそ似てもにつかぬ代物。これこそが中国政治文化とはいえまいか。

要するに、中国は強権的な中央集権国家体制志向なのである。膨大な人民を抱えているから、それなくしては、バラバラになってしまうからだろう。しかも、明王朝や中国共産党のように漢民族政権が続いた訳ではない。モンゴル民族国家の元や、満州民族の清が長期に渡って支配した時期もあり、中国としてのアイデンティティとなるのは、広大な大陸感と、漢字、儒教的帝国文化だけではないか。(中国は長いこと外来民族の植民地だったと見なされないためには、儒教的帝国文化が核とならざるを得ない。)
普通に考えれば、四分五裂でおかしくないのにまとまれる根拠は帝国王朝志向が骨の髄まで染み付いているからだろう。そんな文化の国が、独裁制度から自然に脱することができるとはとても思えない。

独裁政権構造を変えようとすれば、血の雨が降らざるを得まい。西欧的民主制度をとりいれれば、帝国分裂は避けられまい。それを中国人民が好むとは限らないということ。

しかし、それは、現体制の持続を意味している訳ではない。大動乱は、ちょっとした動きから、燎原の火の如く広がるもの。都市人口が農村人口を越えたといっても、都市部の上層住民の民主化運動はおそらくたいした威力は無い。問題は、農村部と都市流入農民といった貧民階層。ココが黙っていられなくなると、命を張って動き始め、人民解放軍の一枚岩体制が崩れてしまう。そうなった瞬間、帝国は一挙に崩れかねない。
それは支配層ほどわかっている筈。子弟の多くは海外留学者だし、賄賂や公金横領で集めたカネの海外運用もありきたりの話でしかなかろう。

実際、それは杞憂ではないかも。地殻変動の兆しがあるからだ。
2011年末、ついに農民の本格的抗議活動が生まれたのである。中国南部広東省烏坎村。虐殺抗議から始まったようだが、村民が地元共産党幹部や警察官を村から追放したという。
共産党は、村民が注目を引くために海外メディアを利用しているだけと言っているらしいが、そここそが実は現政権の弱点なのである。
支配層の腐敗が暴かれ続けると手がつけられなくなりかねないからだ。

万里の長城も蟻の一穴から崩れるもの。もっとも、中国ではアリでなく、コオロギだが。天下之難事必作於易、天下之大事必作於細・・・千丈之堤以螻蟻之穴潰(韓非子−喩老10)

(記事)
"'Buried Alive': A Dissident's Words Become a Catchphrase" WSJ JANUARY 19, 2012
「中国・烏坎村の抗議行動が拡大―21日には村外へのデモ行進を計画」WSJ日本語 2011年 12月 20日

2012.1.18 被災地復興の進捗状況が気になる
大半のエコノミストは、2012年、日本経済は復興需要で年率2%近くのGDP成長率を記録すると見ているらしい。
専門家の経済予想は外れることが多いが、財政資金が本格的に投入されるのは間違いないから、今回は確かそう。しかし、問題は、それが、必ずしも現地経済の再興を意味している訳ではなさそうな点。

もっとも、そんな見方も無理からぬ話かも。復興スピードは今一歩状態らしいのだ。
知人が、週末、被災地に出向いて、ボランティア作業員として片付け作業をするという。まだまだ仕事の山らしい。そろそろ一年経過するというのに、未だにそのレベルなのだ。
支援制度を紹介するサイト(http://www.r-assistance.go.jp/)にしても、1月17日にようやく開設。これからどの制度が使えるか検討して、申請手続きを行い、承認審査を経て、所要の準備を整えると、ようやく補助金が下りるということのようだ。先は長そう。
被災規模が余りに大きいから、なにをするにも時間がかかるのは致し方ないとはいえ、この調子でよいのか心配だ。

つい、そんな気分に陥ってしまうのは、皆で知恵を出し合い、地域開発マスタープランを考えようとの主張を見かけたりするから。
それはそうかも知れぬが余りに理想論すぎないか。
被災地は都会から遠く離れているのである。従って、もともと、雇用機会は限定的な地域なのだ。神戸の教訓はそのまま活かせない。
インフラを作り、その上で産業復興するといった手順では時間がかかりすぎる。今すぐ雇用を生みだす手を打たなければ、食べるために、人々は外に出ていくしかなくなってしまうのではなかろうか。そうなれば、ビジネス環境を整え、魅力的な起業インセンティブを用意しても、事業を支える人的資源が枯渇していてどうにもならなくなる。消費市場も縮めば、小売・サービス業の存立基盤も危うくなってこよう。

従って、早く事業を立ち上げ、一人でも多くの雇用を生み出すことこそ緊要な課題とはいえまいか。

もちろん、黙って、そんな路線で先頭を切って走ってくれる企業も多々ありそう。
典型はビール工場。タンクが全壊したほどの壊滅的被害を受けたとの報道を見たが、いち早く再開したというから驚いた。驚異的なスピード。総費用とロス時間でソロバンを弾けば、多分、廃工場化と工場移転が最適解の筈なのに、それに逆らった意思決定なのでは。当たり前だが、株主も拍手喝采しそうな大英断。
しかし、被災した経済圏の大半は個人事業者と地場産業の地域。同じようなことは資金的にとても無理だろう。従って、こうした方々に、いかにして早く投資資金を回すか知恵を絞るべきだ。

と言っても、簡単な話ではない。投資リスクが余りに高そうだから。
例えば、他地域に顧客を持っていた事業者が元の経営状態に戻せるかは、なんとも言い難い。商品供給が中断してしまえば、顧客は他地域の業者との取引に移行せざるを得ない。つまり、すでに、その需要を満たす供給能力が他地域にできあがっている訳だ。事業を再開しても、顧客開拓をゼロから始める必要があるかも。しかも、金利負担がさらに嵩む。経営者にとっては、公的補助金で事業再開を目指すといっても、清水の舞台から飛び降りる位の覚悟が迫られのかも。

もし、そんな状態だとしたら、ハイリスクを容認できる民間支援ファンドの出資が望ましい。プロが運営してくれるなら、即決投資も可能だからである。
皆で、こうしたファンドにお金を出し合うようになるとよいのだが。

2012.1.16 量子力学関連のニュースを読んで
「原理を崩す」、「原理に欠陥」、「基本法則に欠陥」、「原理に誤り」、「原理の破れ」、「常識覆す」、「原理の例外を実証」という派手な見出しが躍ったので驚いた。なかには、「新たな数式」とか「修正せまる」という言い方も。

大ニュースらしいので、 標準的と想われる記事を読んでみた。・・・"粒子の位置と速度のような対になる物理量を同時に精密に測定することはできないという基本原理(ハイゼンベルクの不確定性原理)があるが、これが成立せず、両者を同時に精密測定できる場合がある"ことが実験で証明されたとのこと。

素人にとっては、ふーん、という以上ではなかったというか、ピンとこなかった。もっとも、そんなこと当たり前か。
と言うことで、それ以上追求する気が失せたのだが、「より普遍的な理論に」という見出し記事があったので、なんとはなしに目を通してみた。

むむー。

途端に高校生の頃が蘇ってきた。こういっては何だが、算数と数学の違いを認識するようになると、物理の授業内容は曖昧でいい加減な感じがしたもの。小生にとっては、歴史と同じく、ツマラヌ暗記モノと化した。
不確定性原理にしても、受け取り方は人によって違うだろうが、測定方法で発生する誤差の話と、対象としている物質そのものが動いていて確定できない話がゴチャゴチャとの印象を持ってもおかしくあるまい。
しかしながら、どうせ凡人には理解不能として、すっ飛ばす訳である。それに、大学入試には役に立たないし。

それにしても、2011年から量子力学分野は花盛り。9月には「ニュートリノが光速を越える」、12月には「ヒッグス粒子存在」とのニュースがかけ巡った。

素人にしてみれば、三者三様。
おそらく超光速を信じる学者は少なかろう。実験の欠陥と見るのではないか。誰も絶対に口には出さないが、大衆ウケを狙った実験の宣伝と見る人もいそうだ。なにせ、問題は新仮説を欠く点。ガリレオが望遠鏡で月面を見せただけでは、学派達の考えは変わらなかったのと同じ。なんと、その凸凹像を否定したのである。
一方、ヒッグス粒子の理屈は、電磁波論と上手く噛み合ったエーテル理論の現代版に映る。現行の理論体形を壊さない理論は嬉しいものである。と言うか、超高額な粒子加速器の価値を示したことに、この実験の最大の意義があると見るべきかも。
今回の指摘はこれらとは質が異なる。同じようなアナロジーで言えばケプラーの楕円軌道論のようなものか。軌道は円という思い込みを一挙に崩した鋭い指摘。曖昧だった仮説を明確にしたという点で、小生はプロ中のプロの成果と見ている。早く言えば、頭で勝負して、皆の思い込みを覆したからである。

と言うことで、以上、素人論でした。

(記事)
「「不確定性原理」の例外を実証=量子物理学の根幹の一つ−名大など」 時事通信 2012/01/16
「「測定速度の壁」破る より普遍的な理論に」 産経新聞(中本哲也) 2012.1.16
「関係者に聞く「ヒッグス粒子発見」の真相」 ナショナル ジオグラフィック日本版 2011年12月22日

2012.1.15 還暦は中為切か
文藝春秋は滅多に読まないが、温泉に入りにいったら、たまたま、2012年2月号の目次が目にとまった。坂本龍一「60歳 還暦の悦楽」。サブタイトルとして、「老眼、耳鳴り、墓−"教授"がはじめて明かす老い」との文言。
小生は、この方の音楽を聴かないが、才に長けているとされる有名人なので、どういうことか読んでみる気になった。
その結果だが、まあ、そんなものかといったところ。
なんともはや、そこにいるのは、還暦を迎えた「優しき」老人ではないか。丸くなり、人生の機微がわかってきたということのようだ。
正直言えば、余りに凡人的でガッカリ。還暦を過ぎようが、なにがなんでも、そのまま突っ張っていて欲しかったのだが。まあ、部外者の勝手な期待ではあるが残念至極。

それにしても、昔の人達の気質と比べると余りに違いすぎるのではなかろうか。
比較対照にすべきではないのかも知れぬが、どうしても、森鴎外を思い出してしまうのである。
その晩年の作品の凄さ。しかし、本職は作家ではないのである。
そして、死の直前に遺言。文面からみると、わざわざ、無二の親友に書き取らせたようだ。ご存知のように、そこで、鴎外は、単なる一人の島根の人として死なせろと言い遺すのである。およそ故郷とは無縁な人として過ごしてきた筈なのに。類稀な才能を持ち、エリートとして様々な分野の第一線で活躍してはきたが、精神的には重荷を担いだ人生を歩んでいたということかも。しかし、それこそが使命ということで、最後まで突っ走って来たとは言えまいか。
確か、享年60。

遺言  ・・・余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス・・・墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス・・・栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ・・・コレ唯一ノ友人ニ云ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許サス 大正十一年七月六日 森林太郎言 拇印

ついでながら、鴎外の随筆の一節も引用しておこう。1917年に出版された森鴎外の「斯論」所収の「中為切(なかじきり)」。

老いはようやく身に迫ってくる。 前途に希望の光が薄らぐとともに、みずから背後の影をかえりみるは人の常情である。人は老いてレトロスペクチイフの境界に入る。

(「遺言」、「なかじきり」:青空文庫)

2012.1.13 内閣支持率や政党支持率の世論調査のお話
世論調査が政権維持の道具として使われているとの批判が持ち上がっているとか。政治の流れに合わせた恣意的な質問形式になっており、世論の後押しありとの風情を醸しだす意図がミエミエというのである。政府調査なら当然のことだが、これがマスコミのものなので、一部で話題になっているようだ。
時代の転換点で、今更、こんな小細工を仕掛けて何が嬉しいのだろうか。棲む世界が違うと言うことだと思うが、おそらく世間を動かしている気になっているのだろう。それこそが醍醐味と思う人達だらけなのかも。

そもそも、どんなアンケート調査だろうが、質問者が仕掛ければ、歪められた結果を出すことは可能。従って、マスコミの調査には特にご用心というのは常識なのでは。今とりたてて騒ぐ話でもないように思うが。重要なのは、あくまでも自分なりの解釈である。

そんなことを言うと、一丁前のことを言うなら調査結果をどう解釈するのか、実例でも出してみろと言われること必定。だから、皆、黙っている訳である。・・・ここで話を終わりたいのだが、余りにしまりがなさすぎるので、ズブの素人の解釈例をお示ししておこうか。自民党末期政権から民主党野田政権までの、社会の状況と政党支持調査結果等を眺めて、ざっくりと作ってみた仮説。くれぐれも、中味を信用しないように。

(1) 意外と言っては何だが、全く政治に係わらない人達は有権者全体の2割を多少越えた程度なのでは。投票率から見るともっと多そうだが、棄権者には関心を持つ人も入っているのでご注意のほど。その一つは、開票結果は自明なので今回は失礼型の人。もう一つは、政治的に棄権した人。もちろん、このなかには、碌な候補者がいないから投票に行かないという程度も含まれる。要するに、完璧な無関心層はそれほど多くないということ。おそらく、その半分は、はなからその態度で生活してきた人々で、残りは、生活に手一杯で政治の話どころではないという方々だろう。このうち後者は増えていそうな気がするが、そうした兆候は見当たらない。

(2) 政権交代しても、結局のところ、新たな族議員によるバラマキ政治が続いている訳だが、その圧力団体たる既得権益層は有権者の2割程度を占めていそうだ。現与党側と旧与党側に二分されるが、二股をかけることができる組織も少なくなさそう。ともあれ、積極的に政治献金や選挙支援活動を行う訳だから、コア層といえる。コアだから思想性がありそうに見えるが、本当にそうなのかははなはだ疑問。現状の生活スタイルに合う政策を打つから支持している人が結構多そう。

(3) 政治意識が高い、政党の思想的基盤を形づくることができそうな層は極めて少数。と言うか、すべてを集めれば有権者の2割ほどにはなろうが、細分化しておりまとまりがなさそう。自己主張が強い訳で、いずれかの政党支持者と称していても、その政治的主張は四分五裂状態。このため、本来は政治的にコア層らるべきにもかかわらず、その役割は果たせていない。しいて分類すれば、国体護持志向、リベラル志向、中道志向となるが、たいした意味はない。左翼の左派は、左翼の右派とは犬猿の仲で、右翼の右派と課題一致で共闘可能といったようなもので、思想的傾向での有権者比率を類似的な体質の政党支持率と考えることには無理があるからだ。言うまでもないが、この層は現政権批判派になり易い。

(4) 上で、「国体護持志向」とヘンテコな用語で記載したが、これは国粋的傾向とか保守と表現したくなかったから。と言うのは、日本のいわゆる保守層の大半は表面的には国粋的な意見を表明するが、伝統制度に膠着しているとは言い難いからである。実利を重んじた柔軟な姿勢を維持するのが一大特徴ということ。早く言えば、伝統は守った方がよいが、それよりは仲間関係を壊すことがない安定した社会を望んでいるということ。従って、政権にしても、安定第一であり、突っ走るような政治は大嫌い。大きな問題が無いなら、思想性はどうあれ、現政権続行が最善と考える訳だ。逆に、迷走しているように見えたりすれば総スカン。この層は有権者の2割強というところかな。普通に言えば、リベラルな動きも許容する穏健な保守と呼べる。さらに分ければ、最悪路線でなければ容認する現状維持層と、漸進的改革待望層とが半々か。

(5) 残りには、特定の指導者以外、全く信用しない層が含まれる。反社会的な思想もありえる。オウム真理教のように表沙汰になることもあるが、マスコミに登場することは滅多にないから実態は全くわからない。しかし、得体のしれない組織が多数存在しているのは明らかであり、細かなものを集めれば結構な数になってもおかしくなかろう。

このように考えると、日本での政権党の成り立ちや政治情勢が想像できるのでは。
 ・裸になれば、自民党も民主党もそれぞれ1割強の得票率しか得られない。しかし、政党としては、この層にしがみつくしかない。他に基盤を作れるとは思えないからだ。政権交代で、互いにこの層をサラミのように切り合うことなるから、両者ともに基盤は弱体化していくだろう。ただ、両者の既得権益層は利益が相反していても、互いにもちつもたれつ的様相を呈しており、急激な変化はおきそうにない。
 ・どう見ても、保守軸v.s.リベラル軸の二大政党政治が上手く機能するとは思えない。その線を追求して、できることと言えば、せいぜいが、ポピュリズム的なメリットを政治思想の色付けで峻別することぐらい。支持者をまとめるには、曖昧な政権公約を打ち出さざるを得ないからだ。そこまでしても、上乗せ分は2割ほどにしかなるまい。したがって、上首尾でも3割支持が限度。
 ・もし、思想的に明確な差別化を図ると、多数派形成は難しくなりそう。思想が相反していようが、表面的な課題一致点を探って、それをことさら強調することで票を引き込むしかなさそう。
 ・なんといっても重要なのは、既得権益防衛層と安定政治待望層が、実際の投票者の半数を占めている点。痛みが予想される本格的な社会改革は口だけというのが暗黙の了解事項と化しているのは否めない。外圧がかかると、丸くおさめる方向を模索することになるが、それが無理とわかれば内部分裂か排他的国家を目指すかのどちらかを選ぶことになる。あくまでも、国内で丸くおさめたいのであるから、分裂を避けるために後者選択の可能性が高い。
 ・政治意識が高い層は、提起すべき課題が定まっておらず四分五裂状態。そのため、他の層に対して能動的に係わることができずにいる。既得権益層に都合のよい主張が場当たり的に利用されているだけ。
 ・全体的に政治思想性が薄く感じられるのは、政党自体にバラバラな思想が同居していることから当然の結果。政党が思想性を打ち出したりすれば、混乱を嫌う層の支持を失ってしまうから、思想的な問題はできるだけ避けるしかないのである。従って、この弱みを突かれると、支持者激減に見舞われる。例えば、既成政党内の思想を表面化させせざるを得ない論点で議論を吹っかけられたりすると、票は逃げていくことになる。

間違えてはこまるが、この仮説が妥当か否かなどどうでもよい話。変革の志があるなら、まずは現状を冷静に眺めたら如何。恣意的な調査も含め、マクロなデータはそれしかないのだから、それが意味するところを考えるしかないのである。想像力の世界での作業になるが、それなくしては、変革の端緒を見つけることは無理なのでは。

2012.1.12 真面目な白川日銀総裁には好感を持てるが、多少心配
日銀総裁が10日にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで講演し、「日本は当局が金融機関の無秩序な破たんを許容しなかったため、世界金融危機の震源地とならなかった」と述べたそうである。
まさしくその通りだと思うが、現時点でこんな発言をしたということは、EU当事者への強烈な批判ということになる。

流石に驚いた。
一般には、コノ手の話は表立って発言しないもの。誰かに言わせ、まあそんな見方もできますな程度のコメントでお茶を濁すのが普通。
下手に反撥を招いたりすれば、何をされるかわかったものではないからだ。

思うに、そこまで欧州の金融機関の状況は悪いということなのだろう。
日本は不良債権先送りで誤魔化し、竹中式手術でどうやら金融システムがまもれたというのが実情だろうが、欧州の金融システムは当時の日本より脆弱ということなのかも知れぬ。なにせ、透明度が低い仕組みだから、ありえそうな話。

そうそう、講演ではもう一つポイントを指摘したようだ。日本のバブル崩壊が、世界の大混乱を引き起こさず、なんとか経済崩落を避けることができたのは、新興国経済のお蔭だというのである。これも、金融統制を強めようとしているEU主流派に対する批判に映る可能性もなきにしもあらず。リスク市場縮小でポートフォリオ見直しが行われ、新興国への資金が逆流したりすればえらいことという話に聞こえるからだ。

とはいえ、主張の核は、あくまでも「流動性供給で時間を買う間に構造改革必要」という点。問題は、その方針に従う風土があるかどうか。外部からこうした正論を述べても、効果があるとは限らない。
それは日本の経験で誰もがわかっている筈。

日本では、未だ懲りずに、破綻企業を支えていそうな金融機関がありそうだし。しかも、融資といった本来業務は低調そのもので、国債で利益を稼ぐことが本業と化しつつある。その国債は今やリスク資産の最たるものなのだが、それが堆く積もっているのである。そのうち破裂しかねない、ゆとり返済なる、米国のサブプライムローン的な資産も抱えているし、この先、どうするつもりなのだろう。
日本の金融システムがどこまで変動に耐えられそうかは、一般人には、さっぱりわからず状態。IMFのストレスチェック頼みか。

日銀総裁発言がEU内で怒りを呼び、日本の歪みをつつく動きが高まったりすれば、どうなることやら。
もっとも、この期におよんで、それは悪いことではない。強烈な外圧なしには日本の政治はどうにもならないのは誰もが認めるところだからだ。日銀総裁がついに腹をくくったということかも。

(記事) 「UPDATE1:日本は金融機関の無秩序破たん避けたため、世界金融危機の震源地とならず=日銀総裁」 ロイター 2012年1月11日

2012.1.11 マスコミが騒いでいるので、小沢裁判記録を読んでみた
小沢裁判のハイライトということで法廷でのやりとりが公開されている。目を通してみたが結構面白い。
予想にたがわず、目新しいものは何もなく、凡庸なやりとりだけなのだが。
欧米流の法治主義でいけば、秘書の供述調書作成が思い込みに基づいた作為的なものだったとの検察官証言が飛び出したのだから、それだけで無罪確定だと思うが、日本ではそういう訳にはいかない。はたして、どういう結果になるのだろうか。
そんな日本の仕組みを考えれば、凡庸な質問をながながと行うことが有罪を引き出す上で一番効果があるということのようだ。
それはともかく、小生が読んで面白かったところを引用してみた。

○ お金の出所を示す証拠は全く無い。日本流だろうから、裁判官の心証で有罪か無罪かが決まるのだろう。
[弁護士]手元にあった4億の現金は、どういうことから小沢さんの手元に存在したのか?
[小沢元代表]私の場合、現金でずっと以前から所有していました。

○ 従って、常識的におかしいという点をくり返し質問するだけの質の低い追及が続く。実に日本的。
(指定弁護士)これも感覚の違いと言われればそれまでなのかもしれませんが、陸山会の口座に入っていた金を現金にして届けたようですが、銀行の口座からあなたに金を移すなら、あなた個人の口座に振り込めばよいと思うのですが、なぜ現金にしたのですか?
(小沢元代表)先ほど申し上げたとおり、手元にいつ何があっても使い勝手がいいように、いつも手元にある程度の現金を持っていました。したがって、手元に現金で返させたことは不自然ではありませんし、銀行の口座は一定の収入についての口座として使っているので、現金で金を受け取るというのは不自然さも違和感もない。

○ ともあれ、金権政治風土を叩くべく、象徴的な政治家を起訴しようとして検察は思い込み捜査を敢行し、大失敗した訳である。
[弁護士]検事から、不正に秘匿した金とは、聞かれませんでしたか?
[小沢元代表]ありました。それが目的で聴取をしたと感じました。

○ どの議員にしても、政治団体といっても、中味はなにもなく、単に資金帳簿作りのためのペーパー上の組織。組織規約など意味は無い。ここが問題の本質なのだが。
[指定弁護士]あなたや、あなたの事務所の(収支報告書への)関わり方は、政治資金規正法上ふさわしいと、今でも思っているのですか?
[小沢元代表]ふさわしいかどうか分かりませんが、担当者に任せて十分正確にできる内容でした。お前はいいと思っていたのかどうかと聞かれると、格別いいとはいえませんが、事務的なことであって。収支報告書が大事でないとは言っていませんが、事務的なことは秘書に任せても十分なことで、私は直接関心を持つものではなく、私にはもっともっと関心を持つことがあったということです。

○ まあ、メリットがあるから政治献金が行われる訳で、政治家が寄付金額を確認した上で政治的に動iいたと言う訳がない。これまた実につまらぬ質問だが、これが法廷戦術というものなのだろう。
(指定弁護士)寄付についても数字は確認するんですか?
(小沢元代表)それはほとんどありません。うまくいっているかどうかというやりとりで分かり合える、それは当たり前の政治家と秘書の関係だと思います。

○ つまらぬことはすべて秘書まかせで、関心は天下国家のみとのこと。ヨクゾ言ってくれました。
[弁護士]事務的なことでも、重要なことは報告させていたのではないですか?
[小沢元代表]私は、任せたことについては、一切、彼らの自主的判断で仕事をしてもらうようにしています。任せた仕事をいちいち検証し、干渉していたのでは回りませんし、私の関心は、口はばったいですが、天下国家の話でありまして、それに全力を集中する日常を送っているつもりであります。

「詳報・小沢元代表は何を語ったか 小沢氏裁判(1)〜(11)」 NHK 2012年1月10日、 「同(12)〜(20)」 NHK 2012年1月11日

2012.1.10 ご参考に、ひねくれた見方を提供しておこう
間違われる方が多いが、本サイトはブログではない。そう言えばご想像になれると思うが、小生は、日本語ブログは滅多に見ない。ただ、僅かだが例外はある。

その一つが、バイオ系学者の方のブログ。学問上の功績の方は全く存じ上げないが、発想に親近感がわくので時々眺めている。
もしかすると、その生き方に魅力を感じているのかも知れぬが、深く考えたことはない。

そのブログの2012年 01月09日を読んだのだが、一寸気になった。話題は、「北朝鮮の漂流木造船の乗組員の帰国」。

その部分を引用しておこうか:
「北朝鮮から漂流してきた乗組員は飛行機で帰国とのこと。---騒ぎすぎでした。むしろ、ほんとうに大変でしたね、お疲れ様、ということばをかけてあげるのが、世間の常識でしょうに。死んだひともいたので、大変お気の毒でした。」

うーむ。
そうかも知れぬが、全く違う可能性もありそう。
それは、TVで映った漁船を見たから。

ポイントをあげよう。
・雪が降る厳冬期に北朝鮮から直接日本にまでたどり着く漂流例は極めて稀。
・驚くべき小さな船だ。ほとんどボート。
・この手の漁船に食糧備蓄はあり得まい。しかし、長期漂流に耐えたということは、緊急食糧を持っていた可能性が高い。
・漁具相当のものや、漁船向きの備品類は全く見当たらない。
・低温障害で死者が発生するほどの過酷な環境に耐える体力を持った人だらけだったのは間違いない。北朝鮮で、漁民が優遇食生活を送れるとは思えないから、体力があるとしたら例外的に強靭な人達だったに違いない。と言うか、常識的には、周到な訓練なしには、厳寒期長期漂流での生存は不可能と見るべきでは。
・しかも、よりもよって、国家をあげての葬儀期に発生。首領様死去発表後は弔意を示す必要があるから、漁船が出港することは考えにくい。その前だとすれば、これはもう奇跡のような漂流話。
・漂流者全員が北朝鮮帰国を要求したそうである。
・そうそう、一つ付けたしておこうか。中国漁船問題でわかったように、海上保安庁は政府首脳の指示通りの情報提供しかできない。又、原発報道で経験したように、日本のマスコミは常識的な推測を全く掲載しないことがある。

まあ、コトを荒立てずに済ませることができてよかった。
そういう点では、確かに「騒ぎすぎでした」。

2012.1.7 お勧めする気は無いが、翻訳本を一冊ご紹介
昨年11月末に、エリック・フェルテン著(白川貴子訳)「忠誠心、このやっかいな美徳」(早川書房)が発刊された。原書は4月らしいから、邦訳本はほんの一寸遅れての発売ということになる。
ウエブに読後感でも載ることを期待していたのだが、待てどくらせど。

書籍分類としては、哲学・思想かも。そうなると、その分野に興味ある人にとっては場違いな本だろう。目もかけられないといったところだろうか。
そう思うのは、著者が知る人ぞ知るWSJのコラムニストだから。ご存知ない方に説明するなら、ライフスタイル関係の話がお得意な有名人としておこうか。

さて、この本の内容だが、アマゾンの説明を読むと、以下のような特徴をウリにしていそう。
 ・「忠誠心とはなにか」を問う書。
 ・ハーバード大学でロールズとシェリングの薫陶を受けた名門紙のジャーナリストの著作。
 ・”哲学の新スタンダード”がキャッチフレーズ。
 ・さまざまなエピソードや名言が登場。---プラトンからタイガー・ウッズまで、トロイア戦争から9・11まで、古今東西の哲学、文学、映画、音楽にセレブの逸話等々。
 ・様々な視点から解剖。---友情、恋愛と結婚、ビジネスとリーダーシップ、政治、愛国心など。
 ・対立する思想や実例をふんだんに紹介。

ただ、出版社は、ソーシャル・ネットワークでの忠誠心で話題書にしたいようである。それは、どんなものかな。日本では、その手の人達が喜ぶような本ではなさそうだが。
なにせ、結論めいたコメントや主張を書かないところに、この本の良さがあるからだ。

ちなみに、小生が特に気に入った箇所は2つ。
 (1) ゲーム理論における裏切りの意味付け---囚人問題の解説にはいい加減うんざりだが、こちらはエスプリが効いている。
 (2) パウエル国務長官の忠誠心---誰でもが真面目な人と思っていたが、実は、とんだ大ウソつき。しかし、その話は皆避け続けて来たのだ。

と言うことで、自分でものごとを考えてみたい人には面白そうというのが小生の評価。
従って、日本の新聞での一番人気、編集子のコラムがお好きな方にはお勧めできない。この本を読めば、それは断片を恣意的に取り上げたものでしかないことに気付く筈。じっくりと物事を考えたいなら、その手のお話を読みたくなる訳がないのである。

(参考) "The Trials of Devotion Critics of patriotism overstate the extent to which it is rooted in claims of superiority. An excerpt from Eric Felten's 'Loyalty: The Vexing Virtue'" WSJ April 20, 2011

2012.1.5 年末のエコノミスト北朝鮮特集の論説が気になった
2011年末、The Economistに、"North Korea after Kim Jong Il: We need to talk about Kim - Regime change in the worst country on earth should be planned for, not just hoped for"というタイトルの論説が掲載された。
この手の主張は、欧米流の発想で眺めれば、驚くようなものではないが、どう考えるかネ。

特に注意を払うべきは、この論考のコーダ部分。引用しておこう。
"The regrettable truth is that not just China but also America (fearful of another global crisis), South Korea (fearful of the costs of adopting a country that seems alien to many young Koreans) and Japan (fearful of a united Korea) have propped up a murderous regime. But the Kims cannot survive for ever. The sooner a dialogue begins about how to replace them, the better-not just for the stability of the region, but also for North Korea’s forgotten and downtrodden people."

要するに、どうせ崩壊せざるを得ない悪辣な独裁政権だから、混乱を怖れてただただ現状維持を図る態度をそろそろ変える必要があるゾ、との主張。
そんなものかな。

考えるに当たっては、アラブの状況を眺めておくのもわるくなかろう。

冷徹な独裁者カダフィが消され、それに伴い、数多くの支持部族員が殲滅されたと思われるが、そんなことでリビアが安定することなどありえまい。原油産出のカネの配分を巡って、部族対立が深まる上に、イスラム宗教政治化が進むからだ。
隣国のエジプトやチュニジアにしても、独裁者が倒れれば、統治可能なのは軍隊のみであり、西欧的な民主政治へ進むことなどおよそ考えられない。軍政の下でまともな普通選挙を行えば、宗教政治化が進むだけである。そんなことはアルジェリアで経験済みでよく知れれた話。言うまでもないが、宗教政治とは、宗教指導者が裁断を下す制度を取り入れることを意味する。選ばれた代議員と元首が成文法に従って統治する仕組みとは本質的に相容れない代物なのは明らか。世俗的な自由は制限される方向に舵を切るだけのこと。およそ、民主化とは縁遠い流れである。
それだけならまだしも、カリスマ的宗教独裁者が全域を支配できない状態だと、宗教セクト間の抗争は避けられない。しかも、それが武装した部族間対立と重なるから大事。
独裁政権の秩序が崩壊し、武器が国境を越えて自由に流通しているから、小規模内乱なら何時勃発してもおかしくない。殉教を厭わない兵士は無尽蔵に近いからでもある。そんな動きが、野火のようにアラブ全域に広がる危険性も否定できないのが現実。
そんなことになったのでは、たまったものではなかろう。

悪辣な独裁政権を倒すという理想論を振り撒く人たちは、おそらく、このような結末を迎えてもかまわないと考えているのだ。早い話、民主政治はどうせできない地域と見なしている訳。内部で互いに争いあって自滅してもらうのが最善ということではないか。

そんな調子で朝鮮半島辺りも扱おうというのが、この手の主張とは言えまいか。

ここはバルカン半島と同じで、歴史的に安定しかねる場所。日本史を学べばすぐにわかる筈。神話的記述の時代から、倭国は半島の奥まで出兵していたのだ。大陸の王朝による支配が半島全域に及ぶことを怖れたのは明らか。それも当然。日本人といっても、血族的には、半島の上層階級の避難民との混血でもあるからだ。来訪した人達は、北部、南の3地方、済州島に分裂して、覇権抗争だらけの半島を脱出し、日本でようやく安住の地を見つけたということ。従って、抗争だらけの半島文化を嫌う風土が日本に出来上がって当然。遣隋使の時代になっても、半島経由を避け、危険な海路での大陸との交流を選んだ位だ。
要するに、半島とは、大昔から、周囲の国々の角逐の場であり、隷属安定か、絶え間なき内部抗争の地だったということ。

李朝も独立国ではなかった。琉球のように離島ではないから、貿易のための二枚舌外交はできず、完全隷属しかとりようがなかったと言えよう。日本支配を避ければ、中国王朝の支配に落ち込むだけの話。
日清戦争や日露戦争にしても、それは植民地化時代の戦争ではあるが、日本から見れば、半島を大陸側巨大国家の支配下におかれたのではこまるという発想があったのは間違いあるまい。半島の意向を尊重するなどという発想は周囲のどの国にもないのである。
現代の中国共産党にしても、半島北側への米軍進駐だけは絶対に容認できまい。その地域は、中国の影響下の緩衝地帯でなければこまるのである。そこで下手に民族運動でも勃興したりすれば、東北部の朝鮮族や清帝国の満州族が独立志向を見せかねないからでもある。これは中華帝国全体構造にかかわる問題となってしまうから、ないがしろにできない。北朝鮮は、中国にとっても腫れ物のようなものと言えそう。これでは、実利を取れ、どもかく当座安定さえしてくれれば結構という方針以上は出しようがあるまい。金王朝内部や支配層にどの国もツテが全く無いのだから、たとえ中国でも、リビアのように新政権樹立を図ることは無理なのである。

そんな状況を考えれば、周囲の国々からしてみれば、半島が分断国家のまま静かに落ち着いてくれることが一番となるのは致し方あるまい。北朝鮮の地方に住む人々が餓死していくのは悲惨ではあるが、下手に手出しをした結果、半島の大戦乱勃発となればさらなる大惨事なのだから。それだけはご勘弁ということ。
金成日独裁政権は、それを読んで着々と軍備を増強し、体制を強化してきた訳である。

まあ、そんな見方をしているからアカンという意見もあろう。平和実現の考え方は色々である。

2012.1.4 新年のご挨拶がわりの一言、「無駄を残そう」
効率一辺倒の生活が楽しい人は別だが、豊かな生活を目指すなら無駄は必要である。それは経済成長の観点での必要悪という意味ではない。無駄なことができるからこそ、心が豊かになるし、それが社会発展の原動力になるということ。

扉の留め金に、50円の汎用部品を使えば、丈夫で長持ち、しかも使い易い。しかし、そこに5,000円の手作り金具を用いることもできる。後者は、いずれ不具合に遭遇する可能性が高いし、その時、部品交換が可能とは限らない。それに、ちょっと見ただけでは、どちらを使っているのか判別できないのである。常識では、そんなことまでして、なんの意味があるのか理解できまい。
しかし、敢えて、そうした無駄が嬉しい時もあるもの。コレ、身近な実話である。
ご想像がおつきになるかと思うが、素人の茶室造りでのワンシーン。茶室を持つこと自体が贅沢といえばその通りともいえるかも知れぬが、お大臣の生活を送っている方ではない。要するに、人それぞれというにすぎない。

エコだとか、色々な思想を振り撒く人がいるが、生活スタイルは色々。価値観など千差万別。なにが無駄で、環境に良いかは、各人の自分勝手な理屈を捏ね回した結果にすぎない。そのマクロな結果として、どうかというのは、全体を見回さなければ判る筈がないのである。
ただ、世の中は、そう思っていない人だらけ。多くは、自説以外、全く聞き耳をたてない原理主義者達。こまったものだが、一種の信仰でもあり、我慢するしかないのが実情。
しかし、我慢が過ぎると、社会は流行の信仰一色と化し、自由もなにもあったものではない状況に陥ってしまう。ここら辺りは、よくお考えになった方がよいのでは。そんな社会にならぬよう、長い時間と労力を投じて、学ぶ習慣を身に着けてきたのだし。

無駄をなくし、せいせいした生活という発想など、その観点では、新興宗教と大差無しという気がする。なにが、無駄か否か、普段の生活で明確に判断できる人はほとんどいないのだから。

間違ってはこまるが、企業のなかでの無駄を無くす運動の話をしている訳ではない。この場合は、課題が一致しているから、論理も明瞭。理屈を超越している信仰とは無縁な地平での話で何の問題もない。但し、課題が曖昧で、どうにでも解釈できる公務員型の仕事には適用できかねるが。
そして、忘れてはならないのは、イノベーティブな企業では、無駄を徹底的に省いている一方で、傍目には非効率的に見える無駄な仕事も抱えている点。気になることは徹底して追及するのである。そこから新しいものが見えてくることが多いことを身をもって経験しているからだ。そう、無為に無駄を重ねている訳ではなく、そこになにか隠れた宝があるという直観に支えられているから、無駄と言われかねない仕事に注力できるのである。
単純に無駄を切るだけでは、浅知恵のモノ真似でしかないと考えている訳。

家庭生活でも同じことが言えるのでは。

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